編集部チョイス「おすすめの1曲」

レベル:

掲載楽譜 →

  • ぴあのどりーむ

  • おんがくドリル

  • ピアノの森

  • 丸子あかね先生の導入教材シリーズ

  • ピアノのほん

  • ピティナ・ピアノステップ課題曲掲載楽譜

  • 運命と呼ばないで

Facebookに遊びに来てください!

・ココファングループ採用サイト


  • JASRAC許諾番号:S0904012063
  • 6月6日は楽器の日
  • 楽譜のコピーはやめましょう

おんがく通信TOP

日本の心

バックナンバー

2014    1月   2月   3月   4月   5月   6月  

2013    1月   2月   3月   4月   5月   6月   7月   8月   9月   10月   11月   12月  

2012    5月   6月   7月   8月   9月   10月   11月   12月  

11月

さ霧消ゆる 湊江の 船に白し 朝の霜
ただ水鳥の 声はして いまだに覚めず 岸の家

11月7日は“立冬”…冬の始まりです。この日を過ぎると初霜が降り始め、冬の気配が濃くなってきます。そして11月22日の“小雪”の頃、北国からは初雪の便りが届き始め、12月7日の“大雪”を迎えると一気に本格的な冬の到来です。

今月の1曲は、そんな冬を先取りして…。日本の初冬の風景を詠った「冬景色」です。第1節“早朝の漁港”、第2節“昼の田園”、第3節“夜の村里”の歌詞の中に、霧、霜、水鳥、烏、麦踏み、小春日、時雨、ともしびなど、美しい初冬の日本の風景が巧みに盛り込まれています。国語学者の金田一春彦は「尋常小学唱歌の中で、歌詞がもっとも優れている。簡潔に朝昼夜の天候の変化を写したのは見事(中略)小学校のときに覚えた歌詞を口ずさんでいるうちに、その趣がわかってきた」と、この曲を絶賛しました。また、この曲の素晴らしさは、歌詞が「六五調」で、曲が4分の3拍子である、とも指摘しています。確かに、この曲が誕生するまでは「六五調」の歌詞はなく、3拍子の曲調と相俟って斬新な印象を与えたようです。

大正2年(1913年)に発表された『尋常小学唱歌(5)』に収載。唱歌は特定の作者を明記しなかったため、時代を経た今も作者が決定できない曲も数多く、この曲も不明のまま現在に至っています。 (く)

*参照『私の心の歌—冬』(学研パブリッシング刊)


9月

紅葉(もみじ)

まだまだ厳しい残暑が続く9月…とはいえ、時折吹く爽やかな風、空を見上げるとうろこ雲、耳をすませばコオロギの鳴き声…と、少しずつ秋を感じる時間が増えてくる季節でもあります。
今回は、日本の秋を代表する一曲をご紹介しましょう。

“秋の夕日に 照る山紅葉 濃いも薄いも 数ある中に〜”

この、日本を代表する名曲「紅葉」は、1911年(明治44年)発刊の『尋常小学唱歌(第2学年)』に合唱曲として掲載されました。作詞は国文学者の高野辰之(1876〜1947年)、作曲はオルガニストで東京音楽学校教授の岡野貞一(1878〜1941年)。ふたりは小学唱歌教科書の編纂委員として出会い、この曲のほかにも、「故郷」「朧月夜」「春の小川」「春が来た」など、皆さんがよくご存知の名曲の数々を世に送り出しています。唱歌の多くが“四七抜き音階”で作られているなか、岡野はあえてファとシを抜かず、西洋風に曲を仕上げました(クリスチャンで教会のオルガニストでもあったことから、賛美歌を参考にしているとも言われています)。当時の日本人にとってこの曲の響きは、さぞや新鮮だったのではないでしょうか。

なお、歌詞に描かれた紅葉は、上信国境碓氷峠の景色なのだそうです。高野はいつも蒸気機関車で峠を越え、故郷の長野県に帰郷していました。峠の急勾配をゆっくりと登る汽車の窓から見える、夕日に映える山々。高野が見たそんな絶景を思い浮かべながら、この歌を味わってみましょう。(く)

*参照『わたしの心の歌-秋』(学研パブリッシング刊)


6月

今月は「雨」にまつわる童謡「てるてる坊主」(作詞:浅原鏡村/作曲:中山晋平)についてお話ししましょう。

遠足や運動会の前の日、雨空を見上げながら、てるてる坊主を吊るした経験はどなたでもあることでしょう。さて、このてるてる坊主、発祥が中国ということはご存知でしたか?「掃晴娘(サオチンニャン)」という、箒を持った女の子の人形を作り、「雨雲を箒で掃いてお天気にして!…」と願いを込めて吊るす、という風習が日本に伝わり、江戸時代に今のような形で定着しました。日本国内でも地方によってその風習はさまざまのようで、例えば、晴れを祈るときには白い布、雨乞いをするときには黒い布で、てるてる坊主を作る地方、ノッペラボウのてるてる坊主を作り、晴れたら顔を書く天気祭りを行う地方などがあるそうです。ちょっと変わった風習や謂れなど、「てるてる坊主」にまつわる面白いお話がありましたら編集室までメールをお寄せください!

ところでこの歌、3番まで歌ったことがある方って少ないと思いますが、けっこう残酷なのです。1番と2番は、「晴れたら鈴やお酒をあげるからお願い…晴れにして!」という内容なのですが、3番は一転、「晴れなかったら首をちょん切るぞ!」。おおッ、コワッ!!!

*参照『わたしの心の歌-春』(学研パブリッシング刊)


5月

新コーナーです!

このコーナーでは「童謡」を採り上げ、この日本固有の音楽(文化)の素晴らしさをお伝えしていきたいと思います。

「童謡」というジャンルが、児童雑誌『赤い鳥』の創刊(大正7年)により誕生したことはご存知ですね?代表の児童文学者、鈴木三重吉の「芸術性豊かで、子どもたちの空想力や情緒を育むような曲」を子どもたちに与えたい、という思いが反映された作品がたくさん作られました。この『赤い鳥』については別の機会にお伝えするとして、では、童謡の第一号となった曲は何でしょう…?
…それは…、西条八十(やそ)作詞・成田為三(ためぞう)作曲の「かなりや」。『赤い鳥』に発表された童謡の中で、楽譜付きで掲載された初めての曲なのです。“クリスマスの夜、教会にいた数羽のかなりやの中で、一羽だけ鳴かないかなりやがいた。まるで歌を忘れてしまったように思えた”と、八十自身がみた光景が描かれています。3番までと4番で、曲と歌詞の雰囲気が大胆に変わるのが特徴で、人々に大正デモクラシーの「自由と豊かさ」を感じさせたのでした。(く)

*参照『わたしの心の歌-春』(学研パブリッシング刊)


このページのトップへ

(C)Gakken Plus Co.,Ltd. 無断複製・転写を禁ず