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気分はすっかりプロカメラマンカメラ

1968 写真現像セット
6K / 2号

「光の進み方」「レンズのはたらき」の体験に欠かせなかったのがレンズ。そしてそれらを学ばせるのに一番適した教材がカメラである。レンズのふろくは「顕微鏡」「望遠鏡」などを創刊年に間に合わせることができた。しかしカメラの製作は難航した。

64年6年の科学9号レンズの原理を解説するページで「50円カメラの作り方」を紹介。本物を買うと数万円するものを自分で作ってしまおう、という内容。10円の虫めがね、針金、板、厚紙と添付の型紙を使用して、6×6フィルムが使えるシャッターつきの本格的なカメラを作ることができた。

そして同年度5年の科学1号に、満を持して「ミゼットエースカメラ」が登場。ファインダ、シャッター、カウンター窓までついた、ふろくとは思えない出来映え。10枚撮り16ミリフィルムもつける出血大サービスであった。現像セットはなく、店でお願いするよう指導。写真屋へ行ったことのない子どもが多いことを考慮して、注文の仕方を微細に説明しているのが微笑ましい。もっとフィルムが欲しい子どものために4本一組70円で追加注文も受け付けていた。この時おそらくサービスしすぎて採算が合わなかったためか、翌年一旦中止して改良を重ね、66年度「新型カメラ」として再登場。シャッターをなくして指を使って撮影させ、フィルムはブローニー判SS(当時約160円)を自分で買わせるなどしてコストダウン。一方、レンズの他にピンホールもつけるなどのバージョンアップもあった。しかしこの指をシャッター代わりにさせる方式、やはり無理があったようで、シャッターの機構に改良を加えたのが67年度以降のものである。スプリングの代わりに輪ゴムを使用することでコストを抑え、68年度版では2種類のスピードのゴムシャッターまでをも実現させた。また、67、68年度の2回、6年生で「写真現像セット」がふろくになっていた。昆虫の羽、植物の茎などの顕微鏡写真のネガが入っており、それを自分で現像、プリントすることができた。そしてこれ以降、カメラふろくには現像液と印画紙もセットされるようになったのだ。

80年代にはサッカーボール型、ロボット型などデザインに凝るようになり、さらにポケットフィルムが使える「110カメラ」に発展。94年にはついに現像ボックスが一体となった「インスタントカメラとれるんです」が開発された。これは赤いプラスチックのボックスを使うことで、暗室なしで現像できる工夫がなされていた。このように最後まで5年生名カメラマンを生み続けたのであった。

  1. 1964レンズセット
    6K / 9号
  2. 1964ミゼットエースカメラ
    5K / 1号
  3. 1968実験カメラ
    5K / 1号
  4. 1973青写真実けんセット
    3K / 12号
  5. 1975アストロカメラ
    6K /6号
  6. 1977広角レンズカメラ
    6K / 9号
  7. 1979望遠レンズ付きカメラ
    6K / 5号
  8. 1983サッカーボール型カメラ
    5K / 5号
  9. 1988110号型カメラ
    5K / 5号