あかはなそえじ先生の院内学級の教師として学んだこと「第63回」
院内学級の教師として、赤鼻のピエロとしてかかわるなかで、笑顔を取り戻し、治療に向かう意欲を高めていく子どもたち。その経験をもとに、子どもとの接し方や保護者・家族とのかかわり方、院内学級の必要性、教育の重要性などについて語ってくれます。
ふれるなかで見つけたもの
前回の続きです(こちら)。
整体の先生に身体をほぐしていただきながら、子どもたちや相手の
「はだにふれ」
「手にふれ」
「目にふれ」
「心にふれる」ことが、
「立体的なふれる」ことなのかもしれないと、ぼんやり考えていました。
私たち教師や大人は、子どもたちが表現してくれた言葉や行動、表情などにふれたとき、そこから考え、想像してかかわります。この子にとって大切なことはなんだろうと、思いをめぐせながらかかわっていきます。
初めのうちは表層にふれているだけですが、だんだんとおくにあるものにふれさせてもらえるような感覚をもちます。ある意味、ちょっとぼうけんをしながら、ごめんねと思いながら、子どもたちのおくにあるものに届くようにふれていきます。
相手が急に固くなったり、にげたりして「しまった!」と表層にもどることもあります。
学習をしながら、遊びながら、このようなかかわりを続けていくと、相手のからだのおくのほうにある「しこり」のようなものに、ふれさせてもらえることがあります。
そして、その「しこり」をほぐすことを、手伝わせてもらえることがあります。
しこりをほぐすお手伝い
だれにでも消してしまいたいようないやな思い出や、思い出したくないのに何かをするときにときどきじゃまをする思い出があります。それは、もちろん子どもたちにもあります。
それらをほぐすために、子どもたち自身や保護者の方々、職場の先生方から、たくさんの話を聞かせてもらいます。
そのとき、私はこんなたとえ話をします。
頭の中には、いろいろな思い出をしまっておくタンスのようなものがあります。
つらい思い出というのは見たくないので、あわてて閉めてしまったために、中のものがビローンと出たままになって、引き出しがうまく閉まらないのです。
引き出しがしっかり閉まっていると、そう簡単には開きません。
しっかり閉まっていないため、何かのきっかけで引き出しがまた開いてしまうのです。
これが、思い出したくないのに、思い出してしまうということ。
そこで、もう一度、引き出しを開けて、中のものを取り出し、きれいにたたんでしまってから、引き出しをしっかりと閉める。
そうすると、もうめったなことでは開かないですし、開いたとしても、きちんとたたんであるため悪さはしません。
でも、実はこれ、とってもエネルギーのいることですから、手伝いますよ。
「いっしょにやってみましょうよ」。
子どもたちや相手の、おくの深いところにふれるには、こちら側にもそれなりのかくごとテクニックが必要だと思います。そんな力をしっかりつけていきたいと思います。
Information
「あかはなそえじ先生のひとりじゃないよ」
四六判・全248ページ
1400円+税
学研教育みらい刊
昭和大学大学院保健医療学研究科准教授、昭和大学附属病院内学級担当
1966年、福岡県生まれ。東京都の公立小学校教諭を25年間務め、
1999年に都の派遣研修で東京学芸大学大学院にて心理学を学ぶ。
2006年より品川区立清水台小学校教諭・昭和大学病院内さいかち学級担任。2009年ドラマ『赤鼻のセンセイ』(日本テレビ)のモチーフとなる。2011年『プロフェッショナル 仕事の流儀「涙も笑いも、力になる」』(NHK総合)出演。2014年より現職。学校心理士スーパーバイザー。ホスピタルクラウンとしても活動中。