「がんばれ!」って言っていいの?
あかはなそえじ先生の院内学級の教師として学んだこと「第17回」
院内学級の教師として、赤鼻のピエロとして関わるなかで、笑顔を取り戻し、治療に向かう意欲を高めていく子どもたち。その経験をもとに、子どもとの接し方や保護者・家族との関わり方、院内学級の必要性、教育の重要性などについて語ってくれます。
~どんなときに使う? 「がんばれ」~
小中学生の実態を言うとき、よく出てきたのが
「自信が持てない」
「すぐあきらめる」
「無気力」
という言葉でした。職員室で先生から聞いたのも同じような言葉でした。
院内学級でも「自信がない」と感じる子どもたちが多かったのは、病気やけがのために経験の少ない子どもたちが多く、「できない」「わからない」をたくさん味わっているからかもしれません。「これ、やってみる?」と聞いても「いや、いいです」と言い、とちゅうでうまくいかないことがあれば「もういいや」とあきらめる。初めからやらなかったり、とちゅうでやめたりする子どもたちに、
「少しでも前向きに歩んでいけるエネルギーを持てるように」
と、そのとき日々の関わり方を工夫していました。
保護者の方から、
「がんばれって言ってはいけないのですよね」
「言ってはいけないと言われたのに、つい言ってしまうのはだめですよね」
などとよく聞かれました。たしかに「がんばれ!」を使わないほうがよいことはあります。でも、よいときもあります。
この「がんばれ!」は、
「がんばりなさい」
「がんばりましょう」
のように未来に向かって使うことが多い言葉ですが、
「がんばったね」
「よくがんばっている」
というように、私は過去や現在に対してよく使っていました。「がんばれ!」と言ってよいときというのは、その言葉をもらう相手が自分自身をどう認識しているのかで大きく違ってきます。「がんばれ!」と言われてそれをエネルギーにできるのか、それとも負担に感じるのか。
~その子の「自己イメージ」はなんだろう? ~
当時、私は保護者会や教員研修会等で、よく「子どもたちの自己認知」について考えてもらっていました。ポジティブまたは、ネガティブな自己イメージです。
病気をかかえていたり、いじめを受けたり、失敗ばかりしたり、怒られてばかりいたり。そのような傷つきをたくさん受けた子どもたちは、自身をどのようにイメージしているのか。
「自分はだめ」
「役に立たない」
「ひとりぼっち」
「だれからも愛されていない」
というように、自分をネガティブに見てしまう子どもが多く、そのような子どもたちが何かに取り組んでいるときに「がんばれ!」と言われたら、
「まだがんばれって、もうこれ以上がんばれないよ」
となってしまうかもしれません。そして、自分はだめだと思ってしまうのではないでしょうか。
まじめに回復に向けてに取り組んでいるにもかかわらず、なかなか具合がよくならない女の子が、ベッドの上で「いったいこれ以上、どうがんばれというの?」とさけんだことがありました。こんなときは、学習をすることや、何かにチャレンジするエネルギーなどあるはずありません。
一方で、成功体験を重ねていたり、話せる友達がいたり、自分に満足をしていたりする子どもたちは、
「自分はできる」
「役にたてている」
「愛されている」
というように、自分自身をポジティブに見ることができるでしょう。そんな子どもたちにとって「がんばれ!」は、大きなはげましの言葉となるでしょう。
子どもたちはふだん、どんなにネガティブに自己を見ていても、ポジティブなイメージを持つときがあります。逆に、ポジティブに自分を見ていることが多いお子さんでも、ネガティブなイメージを持つこともあります。大切なのは、子どもたちに声をかけるときに、その子がどのように自分をイメージしているかを理解してあげた上で、言葉を選ぶことです。
もちろん、声をかけた言葉がちがっているときは多々あります。ちがうことのほうが多いかもしれません。放った言葉が適切かそうでないかは、子どもたちが表情や態度ですぐに伝えてくれるので、ちがった言葉を言ってしまったと思ったときには、「ごめんね」と素直に伝えることが必要です。
Information
「あかはなそえじ先生のひとりじゃないよ」
四六判・全248ページ
1400円+税
学研教育みらい刊