子どもの痛みに寄り添う~体の痛み、心の痛み(後編)
あかはなそえじ先生の院内学級の教師として学んだこと「第16回」
院内学級の教師として、赤鼻のピエロとして関わるなかで、笑顔を取り戻し、治療に向かう意欲を高めていく子どもたち。その経験をもとに、子どもとの接し方や保護者・家族との関わり方、院内学級の必要性、教育の重要性などについて語ってくれます。
~「痛み」はただの「痛み」じゃない~
「先生、痛いよ。ここにいてよ」
小学校の中学年の男の子がいました。その子どもは手術後、お腹の痛みがなかなか治まらず、院内学級に来ることができませんでした。そんなときはこちらから病室に行って、ベッドサイド学習を行います。遊び道具をバッグに入れ、学習用具を手に持って、病棟に向かうのです。
通常、学習時間として45分間という時間を考えていますが、お子さんは院内学級に来られない体調ですし、数分単位でエネルギーの状態は変化しますから、それらに合わせて関わり方を変えていきます。
このお子さんは、世界の国旗に興味があったので、国旗カードと世界地図を使った学習をしていました。「この国旗の国はここにあって、こんな特色がある国なんだよ」と。
すると急に「あ、きたー」とさけぶ子ども。それは痛みがやってくるのはじまりの合図。子どもは私の手をぎゅっとにぎり、自分のお腹に私の手を当てます。
「先生、痛いよ、痛いよ」
こんなとき、私にできることは病棟のスタッフに報告すること、そばにいて「だいじょうぶか、痛いか」と、子どものお腹に手を当てていることぐらいです。
院内学級の教師は、病院スタッフのように、薬を用意して痛みを取るなどの処置ができません。医療(いりょう)的なスキルや資格を身につけ、そういうことができたらいいのではないか。そう思った時期もありましたが、それはちがうだろうということに気づきました。
なぜなら、そのように考えているときに取りたかったつらさは、痛みを伝えている子どもを見て感じている私自身のつらさだったからです。
子どもたちの痛みを少しでも緩和するため、教師だからできること、教育だからできることは何か、それを探していた時期でした。
~「からだ」の痛みは「こころ」の痛み~
院内学級の教師として子どもたちと関わってみると、体と心はとても密接であると感じました。子どもたちが訴える痛みは、心の痛みなのか、体の痛みなのか、はっきりしないことも多々あります。でも、作用しあっていることがほとんどです。
体の痛みを訴える子どもがいます。しかし、検査をしても原因がはっきりしません。数値の上では大きな異常がみつからないのですが、それでも痛みが治まりません。
「先生はどのように理解しますか?」と、病棟のスタッフから尋ねられたとき、このようにお伝えしています。
「頭が痛い」には、
「頭が痛くなるほどのなやみがある」
「解決できないつらさがある」のです。
「お腹が痛い」には、
「受け入れられないことがある」
「かかえられないことがある」
「はき出してしまいたいことがある」のです。
もちろん、病院では医療的(いりょうてき)な原因の究明は続けます。その上で、子どもたちが苦しむ様々な「痛み」を理解します。どちらにしても「痛い」という訴えは、「体や心にふれてほしい」のサインだと考え、お子さんたちと関わっていきたいと思いました。
相手を大切にする、体や心への上手なふれ方。身につけておく必要のあるスキルの一つなのかもしれません。
Information
「あかはなそえじ先生のひとりじゃないよ」
四六判・全248ページ
1400円+税
学研教育みらい刊