失敗はチャンスだ!(後編)
あかはなそえじ先生の院内学級の教師として学んだこと「第19回」
院内学級の教師として、赤鼻のピエロとして関わるなかで、笑顔を取り戻し、治療に向かう意欲を高めていく子どもたち。その経験をもとに、子どもとの接し方や保護者・家族との関わり方、院内学級の必要性、教育の重要性などについて語ってくれます。
~大人が子どもの失敗モデルになる~
子どもたちは大人が失敗する姿を見たいのです。大人の鼻を明かしたい(大人をびっくりさせたい)のです。子どもたちは大人の失敗する姿を見たいのですが、それより本当に見たいのは、失敗した後の対応している姿なのかもしれません。(前回記事「失敗はチャンスだ! ①」はこちら)
大人が子どもたちに伝えるのは、成功するためにはどうしたらよいのか、どうしなければならないのか、ということがほとんどです。
「こうすればうまくいくのに」
「なぜそうしなかったの?」
「失敗は許されないよ」
子どもたちは自分が失敗したとき、そのあと、どのように行動すればよいのかを、大人からしっかり伝えてもらっているとはいえません。だからこそ、子どもたちは大人の失敗するところを見たいのだと思います。
「失敗はチャンスだ!」と子どもたちに伝えるのであれば、私たち大人が「失敗はチャンスだ!」という姿を、しっかりと示していく必要があるでしょう。
~大人もまちがいを認めよう!~
たとえば、先生が板書をしているとき。漢字の書き順をまちがってしまうことがあります。そんなとき、子どもからそのまちがいに気づく声が上がったら、どのように対応するでしょうか。
「では、あなたが正しい書き順を書いてみなさい」と指示するかもしれません。先生のほうが「あなただってまちがうことがあるでしょう。まちがえた人に対してそんな言い方はしませんよ」とおこったシーンを見たこともあります。
このような対応は、一見すると、適切に見えるかもしれませんが、大切なのはこのときの先生の心持ちです。人はまちがいを注意されるとはずかしい気持ちになります。「はずかしい」は「いかり」の気持ちととても仲良しで、いかりに変化しやすいもの。自分にはずかしい思いをさせた子どもだ、と考えての対応は、子どもたちにとって良いモデルとはいえません。
それより、自分のまちがいをちゃんと認めて「あ、先生、書き順を忘れちゃったな。こんなときは辞書を引いてみようか」と、辞書を引く姿を子どもたちに見せることができたらいいですよね。
親でも先生でも、失敗やまちがえはいくらでもあります。はずかしさから、さっさとその場をやり過ごしたくなる気持ちもわかりますが、失敗後の対応のモデルを見せることは、子どもたちが失敗と向き合うためにとても大切なことであると思います。
私が先生になりたてのころは、放課後の職員室でよく先輩(せんぱい)の失敗談を聞かせていただきました(聞かされていた日もありましたが)。そのときは「こんなベテラン先生でも失敗をするのか」と気持ちが軽くなった上に、その後の対応策などもいろいろと教わりましたから、本当に勉強になりました。
今の職員室はよりいそがしくなったせいか、コミュニケーションが少なくなったせいか、先生同士の会話が減りつつあるなか、先輩(せんぱい)たちから聞く話は成功した話や成功させるための話がほとんどです。学校という場が、失敗のできない場になってきているからなのかもしれません。
本来、教育の場は創造的な場であるはず。創造的な場は失敗もたくさんある場。もちろん、失敗はしていけないことであるということを承知の上ですが。失敗が許されない病院の現場に接していると、教育の場では「失敗を生かす」ということを、より大切にしていきたいと思うのです。
Information
「あかはなそえじ先生のひとりじゃないよ」
四六判・全248ページ
1400円+税
学研教育みらい刊