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【美しいイラストで知る 歴史をつくった女性人物ストーリー】 第2回 世界三大美人<クレオパトラ・楊貴妃・小野小町>

【美しいイラストで知る 歴史をつくった女性人物ストーリー】 第2回 世界三大美人<クレオパトラ・楊貴妃・小野小町>

教科書などを読むと、男性の歴史人物を多く目にする印象がありますね。でも、世界・日本の長い歴史の中には、歴史をつくる活躍をした女性も数多くいるのです。
ここでは、多くの困難に立ち向かいながら、信念を貫き、功績を残した女性たちの姿を美しいイラストとともに紹介します。歴史をつくった女性たちのストーリーを入り口に、日本や世界の歴史を知る旅に出かけましょう。

第2回は、世界三大美人を紹介します。

クレオパトラ (紀元前69?年~紀元前30年/エジプト)

クレオパトラは、美しい女性として名高い古代エジプトの女王です。古代ローマの独裁者・カエサルを魅了して強力な後ろ盾にし、女王の座を確かなものにしました。ところが、カエサルが暗殺されてしまい、そのときローマにいたクレオパトラはエジプトへと帰ります。

その後、ローマの新たな支配者のひとり、アントニウスは、エジプトを統治していたクレオパトラに対して身柄を差し出すように命じました。
そこで、クレオパトラは、アントニウスの前に、美しいドレスに身を包み、きらびやかな船で現れます。意表をつかれたアントニウスは、美しいクレオパトラの魅力にすっかりのぼせてしまいました。

このようにして英雄たちを虜(とりこ)にしたクレオパトラでしたが、アントニウスの死後、全ローマを支配したオクタビアヌスに追い込まれ、エジプト王家の象徴であるコブラに身をかませて自害しました。

楊貴妃(ようきひ) (719年~756年/中国)

幼いころからその美しさが評判だった楊貴妃は、17歳で唐(とう)の皇子のきさきとなります。さらに22歳のときに皇子の父親で、皇帝である玄宗(げんそう)に見初められ、きさきとなります。この時、玄宗は56歳。年齢差のある息子のきさきを奪いたくなるほど、楊貴妃の美貌は際立っていたのです。楊貴妃は、音楽や舞踊の才能にも恵まれ、機知にも富む女性でした。
唐…最盛期7世紀の中国の王朝

ところが、楊貴妃に夢中になっていった玄宗は、政治から遠ざかり、国は荒れてしまいます。楊貴妃が37歳の冬、ついに反乱が起き、楊貴妃は玄宗とともに都を離れました。すると、同行の兵士たちの間で楊貴妃への不満が爆発し、「大乱を招いた元凶の楊貴妃に死を!」という声が上がりました。玄宗は楊貴妃をかばいましたが、楊貴妃は「死んでも決してうらみません」と言い、命を絶たれたのです。そののち、反乱は収まりました。

小野小町(おのの こまち) (生没年不詳/日本)

「思ひ(い)つつ 寝(ぬ)ればや人の 見えつらむ(ん) 夢と知りせば 覚めざらましを」
(あなたのことを思いつつ寝たので夢に見たのでしょうか? 夢と知っていたら目覚めずに眠っていたのに)
こんなロマンチックな恋の歌をよんだのが、美人で名高い小野小町です
そんな彼女の生涯は謎に包まれています。残されている和歌は18首ともいわれています。いずれも洗練された恋の歌で、小町の教養の高さやセンスのよさをうかがわせます。
平安時代、貴族の男女は直接顔を合わせず、手紙(和歌)で恋する気持ちを伝え合っていました。センスのよい恋の歌をよむ小町は、男性の憧れの的だったのでしょう。

晩年の小町の有名な歌を紹介します。
「花の色は うつりにけりな いたづ(ず)らに 我が身世にふる ながめせしまに」
(花はすっかり長雨が降る間に色あせてしまいました。私自身も同じように衰えてしまったのです。むなしく時を過ごし、物思いにふけっていた間に)

「世界三大美人」として、日本ではこの三人がおもに知られていますが、世界的には小町ではなく、ギリシャ神話のスパルタ王妃「ヘレネ」の名が挙がるなど諸説あります。

【歴史解説】彼女たちが生きたのはどんな時代?

クレオパトラが生きた時代  “オクタビアヌスが権力を強め、やがてローマ帝国初代皇帝に!(紀元前27年)”
オクタビアヌスは、カエサルの死後、ともに政権を独占していたアントニウスを破り、ローマの単独支配者になります。紀元前27年には「アウグストゥス(尊厳者)」の称号を受け、ローマ帝国の皇帝になりました。

楊貴妃が生きた時代  “遣唐使が派遣される!(630年より)”
日本は、唐の進んだ制度や文化を学んだり、文物を輸入したりするため、630年より唐に使節を派遣しました。これを遣唐使といい、894年までの間に十数回派遣されました。

小野小町が生きた時代  “平安京時代!(794年)”
794年、桓武(かんむ)天皇が移した都が平安京で、こののち約400年間を平安時代と言います。平安京は現在の京都市の中心部にあたり、都の中央には朱雀大路(すざくおおじ)が南北に通り、都の北部の中央に天皇の住む大内裏(だいだいり)が置かれました。


出典
『歴史をつくった女性大事典<1>古代~近世の巻』
『歴史をつくった女性大事典<2>近代~現代の巻』
学研プラス(編)/監修:服藤早苗(埼玉学園大学教授)
各定価:3,520円(税込)

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