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コラム・マンガ

病気の子になぜ教育が必要?(後編)

病気の子になぜ教育が必要?(後編)

あかはなそえじ先生の院内学級の教師として学んだこと「第21回」

院内学級の教師として、赤鼻のピエロとして関わるなかで、笑顔を取り戻し、治療に向かう意欲を高めていく子どもたち。その経験をもとに、子どもとの接し方や保護者・家族との関わり方、院内学級の必要性、教育の重要性などについて語ってくれます。

~病気の子どもが回復、退院、そして復帰する~

学校に復帰したときに、居場所がクラスにあるかどうかがとても大きなことで、その子自身が自分の居場所があると思えるかが重要なことだと、前回、書きました。(前回記事「病気の子になぜ教育が必要? ①」はこちら

どんな状態の子どもたちであっても、なんらかの発達、成長は続いています。病気の子どもたちにとって、入院はある意味、発達、成長の連続性を切り取って行われるものなのかもしれません。
だからこそ、子どもたちの発達、成長の連続性を保障する存在やかかわりが必要であり、そこは「教育」が担うところであると、私は思うのです。
そんな子どもたちに、教師が「今は病気を治すことに専念しなさいね」という言葉をかけたら、果たして病気の子どもたちは、治療に向けるエネルギーをためることができるでしょうか。

「たった4、5日間のかかわりに教育が必要なのですか?」
平均6日。この数字は、私が担当している院内学級のある病院の、小児科に入院している子どもたちの在院日数です。特別な数字ではありません。当時、14才未満の子どもの全国の平均在院日数は9.4日。10日間を切っていました。私の学級に子どもたちが来てくれる平均日数は5日間もありません。
一方、半年以上の入院を求められている子どもたちもいます。当時、増えていると感じたのは再入院してくる子ども。ある子は、1年間に7回もの再入院がありました。

「このような場面の子どもたちに、果たして教育が必要なのですか?」と問われることがありました。
教育関係者に、院内学級のことや病気をかかえた子どもたちへの教育の必要性を伝えるとき、「学習の空白をうめましょう」「学力の保障をしましょう」と言うと、「本当に必要ですよね」と言っていただけますが、病院関係者に、同じことを伝えてもそうはいきません。

~「院内学級」の役割はなんだろう~

2006年、私が院内学級に配属になったときの、忘れられない出来事があります。
私が「この子に勉強を教えたいのですが」と、ある病院関係者に伝えたときに、「今、この子にとっては病気を治すことが第一。もう少し状態がよくなってから、声をかけてください」と言われました。それはそうだけど……。私は奥歯をかみしめたことを覚えています。
確かに「勉強」という言葉を使ってしまったことを反省しましたが、子どもの発達、成長はこの時点でも続いています。

子どもたちにとって「学ぶことは生きること」なのです。たとえ1日だけのかかわりであったとしても、その保障をしたいと思いました。再度、病院関係者に「発達、成長の保障をしたいので、会わせてくださいませんか」とお願いしたところ、ようやく子どもたちとかかわることを許可していただいたのです。
このことは、病院関係者と教育関係者のちがいを考えさせられると同時に、病院と教育の現場であつかわれる言葉のちがいも、また課題であると感じた出来事でした。

続きは次回「教育だからできること ①」でお届けします。

前回記事「病気の子になぜ教育が必要? ①」第20回はこちら

前々回記事
「失敗はチャンスだ! ①」第18回はこちら
「失敗はチャンスだ! ②」第19回はこちら

Information

「あかはなそえじ先生のひとりじゃないよ」
四六判・全248ページ
1400円+税
学研教育みらい刊

あかはなそえじ先生・副島賢和(そえじま まさかず)

筆者:あかはなそえじ先生・副島賢和(そえじま まさかず)

昭和大学大学院保健医療学研究科准教授、昭和大学附属病院内学級担当 1966年、福岡県生まれ。東京都の公立小学校教諭を25年間務め、 1999年に都の派遣研修で東京学芸大学大学院にて心理学を学ぶ。 2006年より品川区立清水台小学校教諭・昭和大学病院内さいかち学級担任。2009年ドラマ『赤鼻のセンセイ』(日本テレビ)のモチーフとなる。2011年『プロフェッショナル 仕事の流儀「涙も笑いも、力になる」』(NHK総合)出演。2014年より現職。学校心理士スーパーバイザー。ホスピタルクラウンとしても活動中。

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