教育だからできること(後編)
あかはなそえじ先生の院内学級の教師として学んだこと「第23回」
院内学級の教師として、赤鼻のピエロとして関わるなかで、笑顔を取り戻し、治療に向かう意欲を高めていく子どもたち。その経験をもとに、子どもとの接し方や保護者・家族との関わり方、院内学級の必要性、教育の重要性などについて語ってくれます。
~子どもの「ポジティブ」と「ネガティブ」~
前回の話の続きとなりますが、小学生中学年の女の子が半年ぶりに入院してくるまで、たくさんの段階を経てきたはずです。(前回記事はこちら)
授業中の成功体験で回復したこともあるでしょう、休み時間の友だちとの遊びやおしゃべりで回復したこと、放課後の先生とのなにげない会話で回復したこと、保健室で過ごすことで回復したこと、また何日か学校をお休みすることで回復したことなど、いろいろあったのではないでしょうか。
今回、再入院したのは、そのようなレベルのことでは回復することができなかったから、病院までたどり着いたと思うのです。
つらくなったり、苦しくなって、体が限界になったとき、病院で過ごすことでエネルギーをためようとする子どもたちがいます。子どもたちを、体に反応が出ているうちに救いたいと思いました。
そのような子どもたちの多くは、自分をマイナスイメージで見ています。以前にも言いましたが「ネガティブな自己認知」ですね。
「自分はダメだ」
「自分は役に立たない」
「自分は愛されていない」
「自分は友だちもいないし、ひとりぼっちだ」と。
とくに、何度も入退院をくり返している子どもたちは、このネガティブな自己認知をしやすいように感じます。
いじめにかかわっている子どもや、被災地(ひさいち)の子どもたちもそうですが、自分の力では現状を変えることができないという思いを味わわされている子どもたちが、ネガティブな自己認知からぬけ出せないことは当然と言えますし、病気をかかえた子どもたちの多くも同様なのです。
教育の仕事は、子どもたちの「ポジティブな自己認知」を高めることだと考えています。
「自分は自分でよい」
「自分は役に立てている」
「自分は愛されている」
「自分には仲間や友だちがいる」と。
このように自分を思えるようかかわったり、学習を組み立てたりすることができます。
~「行ったり来たり」のかかわりとは?~
朝の会で、みんなで読む詩を選んでいるとき、たくさんの要素を考えます。その中には子どもたちに伝えたいメッセージが必ず入っています。
そのことをお伝えしたときに「そこまで考えて詩を選ぶのですか?」と聞いてきた先生がいました。私は思わず「えっ、選ばないのですか?」と、回答ではなく質問をしてしまいました。子どもとかかわるときに、意図がないことはあり得ないですよね。
もちろん、いつも、いつもうまくいくとはかぎりませんが、子どもたちとのかかわりは一つひとつ考えながら行っていました。子どもたちが今、自分をポジティブに見ているのか、ネガティブに見ているのか。それを考えるだけでも、その子への声かけをふくめて、一人ひとりへのかかわり方がちがってくるのです。
だた、心理士さんのかかわりは、子どものネガティブな自己認知にしっかりと寄りそうことだと考えます。「自分はダメだ」と思っている子どものそばにいて、「そう思うとつらいよね」というかかわりも大切だと思いました。
院内学級の教師や、保健室の先生は、両方を行ったり、来たりしていますが、この力は子どもたちにかかわる教師や保護者、すべての大人に必要な力であると思います。
「教育だからできること(前編)」前回記事はこちら。
Information
「あかはなそえじ先生のひとりじゃないよ」
四六判・全248ページ
1400円+税
学研教育みらい刊