子どもを大切にする「許す」かかわりとは? ~受容と許容~
あかはなそえじ先生の院内学級の教師として学んだこと「第32回」
院内学級の教師として、赤鼻のピエロとしてかかわるなかで、笑顔を取り戻し、治療に向かう意欲を高めていく子どもたち。その経験をもとに、子どもとの接し方や保護者・家族とのかかわり方、院内学級の必要性、教育の重要性などについて語ってくれます。
~子どもを「許す」かかわりには「受容」と「許容」がある~
「受容」は感情を受け止めること。
子どもたちのからだの中にわき上がってくる感情を、しっかり受け止めることです。こちらが受け止めやすい「うれしい」「楽しい」といった感情はもちろん、「悲しい」「つらい」「イライラする」「頭にくる」という、こちら側もゆさぶられ、受け取りにくいような感情も、しっかりと受け止めます。
「いかりは願いの裏返し」――このいかりの向こう側には、どんな願いがあるのでしょう。
「悲しみはつらさを伝えたい」――この悲しみは、どんなつらさを伝えようとしているのでしょう。
そんな気持ちで聞くと、少しだけゆったりそばにいられるのかもしれません。
「許容」は行動を容認すること。
「受容はするけど、許容はしません」――これは、感情はしっかり受け止めますが、いけないことはいけないと伝えます、ということです。認められない行動に対して、しっかりと認めないことを伝えます。「いけない」というときは、だれを困らせる、だれかにおこられるから、ということではなく、「あなたを守るため」「あなたが傷つかないように」いけません、やめます、と伝えます。そして、そのときにわき上がってくるさまざまな感情をきちんと受け止めるのです。
「注射はしたくない」「薬を飲みたくない」「勉強なんかしたくない」と子どもたちは言います。しかし「やらない」とは言っていません。「やりたくない」と言っているのです。やらなければいけないことは、子どもたちが一番知っています。でも「やりたくない気持ちを聞いてよ」「つらい気持ちを聞いてよ」と言っているのです。
こんな言葉を聞くと、大人は「注射をしないと治らない」「薬を飲まなければ退院できない」「勉強がおくれたらどうするの」と言います。つらい気持ちを受け止めてもらえなかった子どもたちは、激しく否定をしたり、無気力になったり、感情を見せなくなったりと、心を閉ざしていき、病気を治すエネルギーもなくなっていきます。
~「やりたくない」と「やらない」の間にある心のきょり~
「いやだ」「やらない」ときっぱりと否定するときは、別の理由がある場合が多く、そのこと自体に対する否定より、ほかに何かのひっかかりがあるようです。子ども自身が、何がいやなのかを明確にわかっていない場合がほとんどですから、ていねいにかかわりながら、子どものおくにあるひっかかりを見つけてほぐしていきます。別のところにあるひっかかりが解決していくと、自然と「いやだ」と言っていたことに自分から取り組むようになります。
5年生の男の子が、気持ちを詩にして伝えてくれました。
「手術いやだなぁ。頭を切るっていうし。かみの毛もそるっていうし。退院まではえないかもしれないし。
手術を考えると体がムズムズする。手術を考えるとねむれない。できることならやめたい。
手術が終わったらドッヂボールをやりたい。終わったらステーキとおすしが食べたい。いっぱいテレビ見たい。早く終わるといいな。」
手術前日、とてもしずんだ様子で院内学級に来てくれました。横に座り、学習をしながら、遊びながら、手術への思いやからだが感じている感覚などをたくさん聞きました。たっぷり時間をかけて。男の子の表情やからだがやわらかくなったとき、ここだと思って聞いた答えが「手術が終わったら」からのくだりです。「いやだな」「やめたいな」と言っていた男の子が、「早く終わるといいな」と少しでも前向きになっていました。「やりたくない」と「やらない」の間のきょりを、そばにいる大人が見極める、そんなかかわりができたのかなと思えました。
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Information
「あかはなそえじ先生のひとりじゃないよ」
四六判・全248ページ
1400円+税
学研教育みらい刊