こどもホスピスプロジェクト ~子どもの居場所と架け橋~(前編)
あかはなそえじ先生の院内学級の教師として学んだこと「第42回」
院内学級の教師として、赤鼻のピエロとしてかかわるなかで、笑顔を取り戻し、治療に向かう意欲を高めていく子どもたち。その経験をもとに、子どもとの接し方や保護者・家族とのかかわり方、院内学級の必要性、教育の重要性などについて語ってくれます。
~こどもホスピスってなに?~
みなさんは「ホスピス」と聞くと、どのようなことを想像するでしょうか。
「ターミナルケア(終末期ケア)のためのサポートをする場所」
「病気の方が終末期を過ごす施設」
このようなイメージをおもちでしょうか。
なので「こどもホスピス」と聞くと、
「その子ども版なの?」
「そんなところに子どもを入れるの?」
「子どもの終末期の病院ですか?」
「子どもに病気が治らないことを告げるのでしょうか」
そうですよね。当時の厚生労働省の基準で「ホスピス」を当てはめて考えてみると、このような疑問がわいて当然のことです。そして病院側も、ネーミングを「ホスピス」にするかどうかについては、必ず議論となるところでした。
しかしこの「こどもホスピス」は、いわゆる「ホスピス」とはイコールではありません。重い病気を持つお子さんたちとそのご家族に、遊び、学び、交流、いやしなど、さまざまなプログラムを通して関わる、民間の活動のことを言います。
「だったら、名前を変えたらいいのに」──たしかにそうかもしれませんね。
1982年にイギリスで設立された「ヘレンハウス」がはじまりで、現在も、海外ではその名前で広がっています。
2009年に、その「ヘレンハウス」を設立した創始者、シスター・フランシス・ドミニカさんらを招いて大阪で開かれたセミナーでは、「Live Deep」(深く生きる)をキーワードに話し合いが行われました。
その翌年の2010年に、シスター・フランシスからいただいた「Start small」(できることからはじめよう)の言葉を大切にして「こどものホスピスプロジェクト」が結成されたのです。
そして多くの方々のサポートにより、2015年、大阪市鶴見区に「地域が支えるこどものホスピス」が開設されました。
~「退院しても行く場所がないので、おれらの居場所をつくってほしい」 ~
この言葉は、数年かけて病気を乗り越えて、退院したときには、高校生の年になっていた子どもたちから言われた言葉だそうです。 この活動のきっかけとなった子どもたちとのかかわりを、あるドクターがふり返って、話をしてくれました。
公立の特別支援(とくべつしえん)学校には、高等部や訪問部があり、義務教育を終えた子どもたちの教育を保障する制度があります。しかし、入院期間中にちょうど高校受験が重なり、受験できなかったお子さんたちや、私立に通っているお子さんたちにとっては、大きなかべがありました。
こんな話がありました。──うちの子は私立の高校に通っています。公立の特別支援(とくべつしえん)学校の訪問部に籍(せき)を移すためには、一度、入学した私立高校を辞めなければなりません。だったら訪問はけっこうです。籍(せき)を移さずに、勉強は独学で行います──
義務教育の年になる子どもたちの場合、地域の学校に就学先があるので籍(せき)がなくなることはないかもしれません。それなら、義務教育を修めた子どもたちへの教育保障は、いったいどうなっていたのでしょうか。
次回の後編では病気の子どもたちへの全面的なサポートを行う「こどもホスピス」についてお伝えし、全国に広がる「こどもホスピス」の輪を紹介していきます。
前回記事
第41回はこちら。
Information
「あかはなそえじ先生のひとりじゃないよ」
四六判・全248ページ
1400円+税
学研教育みらい刊