子どもの声を聴く~子ども理解のために何ができる?~前編
あかはなそえじ先生の院内学級の教師として学んだこと「第44回」
院内学級の教師として、赤鼻のピエロとしてかかわるなかで、笑顔を取り戻し、治療に向かう意欲を高めていく子どもたち。その経験をもとに、子どもとの接し方や保護者・家族とのかかわり方、院内学級の必要性、教育の重要性などについて語ってくれます。
~「言葉でちゃんと言いなさい!」~
私もそうですが、教育にたずさわっている人たちは、「子どもの声を聞きましょう」「子どもたちの声に耳をかたむけましょう」とよく言われてきました。
教師だけでなく、子どもにかかわる仕事をしている方や、保護者、家族も「子どもの声をしっかり聞いてあげて」と言われることが多いのではないでしょうか。
聞くこと、聞いてあげることはとても大切なことなのですが、聞かなければ、聞いてあげなければと思えば思うほど、子どもに多くを求めてしまうことがあります。
「言語化」──子どもたちが自分の考えや思い、願いを言葉にできることは、とても大事なことですし、教育が行う大切なことの一つでもあります。
また「感情の言語化」は、感情をじょうずにコントロールするための不可欠な要素であります。
ですが、子どもたちが自分の中にある感情などを言葉にするためには、「安全、安心を感じる」「ボキャブラリーを持つ」「体験がある」など必要なものも多く、なかなか簡単にできることではありません。
~ついつい、子どもたちに「言葉で言いなさい」と言っていませんか?~
ある休み時間、けんかをした子どもが教室に戻ってきました。そこで教師は言います。
「なんでけんかなんかしたのか? けんかの原因は? 理由があるのだろうからちゃんと言いなさい」
さらに、口をつぐんでいる子どもに向かって「言葉で言わなきゃわからない」と追い討ちをかけます。
時間がないときには「けんかの理由を教えてくれたら、相手に伝えてあげるから、仲直りができる」とまで言い、つい「言葉で言う」ことを要求してしまいます。
言葉で伝えられるようになることは大切ですし、育まなければならないことです。
でも、そのとき、子どもたちが自分の中にわき上がった不快な感情をじょうずに言葉にできていたら、そもそもけんかをしたり、友だちをたたいたり、暴言を言ったり、教室を飛びだしたり、という「行動化」をせずにすんだのではないでしょうか。
頭が痛くなったり、おなかが痛くなったり、気持ちが悪くなったりする、「身体化」する子どもたちもいます。
言葉にする、言葉を聞くということは、とても難しいことだと感じます。
~ノイズの中のメッセージ~
けんかをしたり、人をたたいたりする行動化や、具合が悪くなってしまう身体化は、保護者や教師、大人たちにとってはノイズ(雑音)になってしまいます。
ノイズはできたら聞きたくない。自分を守るために遠ざけたい。だから言葉で伝えてほしい。言葉で言えばわかりやすいのに、と思うのは当然のことです。
でも、このノイズこそが、子どもたちが本当に必死になって伝えたいサイン、シグナルなのです。その後ろに必ずメッセージがあります。
もちろん、その思いや願いは自分勝手なものなのかもしれません。それでも、その子なりの物語があるはずです。その「メッセージを聞く」ということが、「子どもに耳をかたむける」ことなのであると考えます。
次回は「なんでもない」や「だいじょうぶ」などの、子どもたちの言葉から読み取れる「心の声」を具体的にみていきましょう。
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第43回はこちら。
Information
「あかはなそえじ先生のひとりじゃないよ」
四六判・全248ページ
1400円+税
学研教育みらい刊