「手伝って」「たすけて」と言えるために 前編
あかはなそえじ先生の院内学級の教師として学んだこと「第48回」
院内学級の教師として、赤鼻のピエロとしてかかわるなかで、笑顔を取り戻し、治療に向かう意欲を高めていく子どもたち。その経験をもとに、子どもとの接し方や保護者・家族とのかかわり方、院内学級の必要性、教育の重要性などについて語ってくれます。
~あきらめないと、生きていけない~
赤ちゃんのころから入退院を何度もくり返しているお子さんがいました。小学校に入学しても、登校することがなかなかできません。
このお子さんは、できないことやわからないこと、失敗することがとても苦手で、私と出会ったころは、自分ができないことにはいっさい取り組もうとしませんでした。
算数の計算や漢字の書き取りでまちがえたりすると、とてもイライラして、周りの人についつい当たってしまいます。そして「もうやらない!」と、すぐにあきらめてしまうことも多く見られました。
ある日、そのお子さんが図工の時間、工作に取り組んでいました。もうすぐ完成するというところまできて、ノリをぬる場所の裏と表をまちがえてしまい、このときにも「もう、いやだ、あきらめた!」と、作品をポンと投げ出してしまいました。
このような姿を見たとき、私たち院内学級の教員は「あきらめてはいけないよ」とばかりに、いろいろなメッセージを送りますが、このとき実は、そのお子さんが私たちに向かって大声でさけびました。
「あきらめないと、生きていけないんだよ!」
その場にいた私たちも、いっしょにいた大人の方たちも、思わず固まってしまいました。
そうなのです。このお子さんは「病気を治すための努力をしてきて、いろいろなことをあきらめてきたのだから、ここで工作をあきらめるのも仕方がないことでしょう」と、言いたいのだろうと感じました。このお子さんにかぎらず、病気やけがで苦しんできた子どもたちは、それを人のせいにすることもできず、たくさんのことをあきらめて生きているのだと思います。
病気やけがでなくとも、さまざまな事情で何かをあきらめてきた子どもがいることに気づくと思います。私たち教師や子どもにかかわるすべて大人は、あきらめないことの大切さを子どもたちに感じてもらえる、そんなかかわりをしていきたいです。
~「子ども」らしくいさせてよ~
子どもたちは、病気やけがによって、たくさんのものをうばわれていきます。
- 安全感、安心感──今日と同じ明日が来るとは思えない状況の中にいます。
- 自由 ──病気を治すために行動の制限はもちろん、感情も自由にもてなくなり、「つらい」「さみしい」を感じないようにしています。
- 主体性、自主性──良い病人でいるために受け身を求められます。選ぶことやチャレンジできることが限られてしまいます。
- 仲間 ──友だちから切りはなされ、わがままも甘えも言えなくなります。
- 学び、遊び ──教育や遊びの機会も制限されます。
どの要素も、子どもの発達にとってはとても大切なことですが、病気を治すという名のもとにこれらがうばわれていくのです。これでは「あなたは子どもでいてはいけない」と言われているのと同じことです。
そのため、病弱教育を行う院内学級では、病気をもつ男の子、女の子が、子どもにもどれる時間や空間、かかわりを提供していきます。
たとえ病気をかかえていても、入院中であっても、子どもたちは思っています。
「なんでも自分でできる」「なんでも自分でやりたい」
「なんでもできるようになりたい」「なんでもわかるようになりたい」
このような気持ちを私たちが保障していきたいと思うのです。 次回の後編では「たすけ」を求めることができない子どもの悩みとそれらを支えるかかわり方についてポイントでお話していきます。
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第47回はこちら。
Information
「あかはなそえじ先生のひとりじゃないよ」
四六判・全248ページ
1400円+税
学研教育みらい刊