「手伝って」「たすけて」と言えるために 後編
あかはなそえじ先生の院内学級の教師として学んだこと「第49回」
院内学級の教師として、赤鼻のピエロとしてかかわるなかで、笑顔を取り戻し、治療に向かう意欲を高めていく子どもたち。その経験をもとに、子どもとの接し方や保護者・家族とのかかわり方、院内学級の必要性、教育の重要性などについて語ってくれます。
~援助希求(えんじょききゅう)~
前回の続きです(前編はこちら)。たとえ病気をかかえていても、入院中であっても、子どもたちは思っています。
「なんでも自分でできる」「なんでも自分でやりたい」
「なんでもできるようになりたい」「なんでもわかるようになりたい」と。
できないことが増えたり、学校から切りはなされたりした不安から、学習などに必死に取り組もうとする姿勢を見せる子どももいます。しかし、がんばりすぎて、病気を治すエネルギーがなくなってしまう子どももいます。
そんな子どもたちにとって、苦手なものは何だと思いますか。
それは「たすけて」「手伝って」と言うことです。
人の助けを借りずに、自分ひとりの力でやりとおすことは、とても大切な力です。それでも、本当につらいときや、難しいときは、周りの人に助けてもらう、手伝ってもらうことは必要なことです。
なぜ、助けを求めることが苦手なのでしょうか。次のようなことが考えられます。
- 援助を求めるスキル自体を持っていない
- 助けてもらう自分、一人でできない自分はダメだ、無力だと考えてしまう
- 助けてもらうとくやしくなる、悲しくなる
これでは、助けを求めることは絶対にできないでしょう。
一方で、「これをやって!」と、簡単にたのんでくる子どもたちもいます。この子どもたちを見ていて感じることがあります。それは「不安」です。
「失敗したくない」「うまくいくなら、それでいい」「正解を教えて」と、結果だけを考える子どもたちが多いように感じます。
これは本当の「援助希求(えんじょききゅう)」ではありません。
たすけてって言えない…だって、たすけてもらうことは…
~「たすけて」と言えるために~
その一方で、子どもたちが助けを求められるようになったり、簡単に「手伝って」と言えるようになるためには
- 援助を求めるスキルを身につける
- 助けてもらう自分も、助けてもらうままでよいと考えられる
- 誰かを助けて「助けてよかった」という経験を持つ
他者とのかかわりを通して「こんな自分もいいかな」と認めてあげる
自分を傷つけている子どもたちの多くが、「助けを求めようとしない」というデータもあります。私たち教師を含めて、子どもにかかわるすべての大人たちができることは何でしょう。普段から場面に応じた適切な助けの求め方というのを、子どもたちにモデルとして示していくことだと思います。
前回記事
第48回はこちら。
Information
「あかはなそえじ先生のひとりじゃないよ」
四六判・全248ページ
1400円+税
学研教育みらい刊