子どもの貧困を知る 後編
あかはなそえじ先生の院内学級の教師として学んだこと「第68回」
院内学級の教師として、赤鼻のピエロとしてかかわるなかで、笑顔を取り戻し、治療に向かう意欲を高めていく子どもたち。その経験をもとに、子どもとの接し方や保護者・家族とのかかわり方、院内学級の必要性、教育の重要性などについて語ってくれます。
病院の中で出合う貧困
前回の続きです(こちら)。
病気の子どもが教育を受ける際には、大小さまざまな課題があります。そのため、病弱教育は、教育界が直面する課題に最初に出合う場所であると考えます。
不登校もそうでした。昔は不登校ではなく、学校恐怖症(がっこうきょうふしょう)と呼ばれていた時期もありました。不登校と同じように、心身症(しんしんしょう)や心の病気、発達障がい、DVや自死(死にたい気持ち)など、課題はさまざまです。病弱教育は、早い段階で課題をかかえた子どもたちとのかかわりが始まる場所なのかもしれません。
私がかかわる院内学級の子どもたちも同様です。ここにきて、メディカルケアを必要としている子どもたちへのかかわりがクローズアップされるようになってきました。
ただ、貧困にかんすることについて、病院はギリギリまでその実態をつかむことが難しいようです。
「貧困はね、子どもを病院から遠ざけるんだよ。本当にギリギリになってから、私たちの前に来るんだよね」と、ある小児科のドクターが教えてくれました。
ギリギリまで病院に行かない子ども
当時、長野県で行われた研究で、そのことを裏付けるデータがあります。
「貧困は健康を悪化させる」というテーマで、「貧困、非貧困世帯での比較」が新聞でけいさいされました(民医連新聞2016年1月4日号)。
そこでは、貧困世帯と非貧困世帯で病院でみてもらう差が4.3倍にもなると書かれていました。この数字から、貧困の子どもはギリギリまで病院に行くことをがまんします。これ以上は危ないだろうとなったときに、病院とようやくつながって、すぐに入院することが想像できます。
当時の、インフルエンザの予防を接種するグループと未接種のグループの割合を比べても、3.4倍の差があります。
「子どもたちの病院費用はサポートがあるでしょう。無料になるのでは?」と言われます。自治体によっては、一度、自分で料金をしはらい、後から申し込みをすることで返金される制度があります。そういったところでは、そのはじめのお金をはらえない場合が多いのです。
また、「保険証がないので病院には行けない」という話も聞いたことがありました。
このような課題をかかえる、貧困世帯の子どもたちがいるのであれば、そこにこそ教育が果たす役割があるのではないかと考えます。
貧困に教育はなにができる?
学校に欠席のれんらくが入ったとき、お子さんが
「どのような体調不良なのか」
「売られている薬を飲んで、ねているのか」
「病院とはつながっているのか」
「家には一人でいるのか、ほかにだれかいるのか」
をしっかり確かめます。
その上でふだんの学校での様子や、保護者との会話から
「不登校になりがちなのか」
「DVのうたがいはあるのか」
「家庭の様子で困ったことはあるのか」など、教師側、学校側はたくさんの情報を引き出していかなければなりません。そうやって、子どもたちの生活を想像できるようにするのです。
朝のいそがしい時間に、教師側も保護者側も、おたがいゆっくりと会話をすることができないかもしれません。もしそうであれば、放課後に電話を入れたり、家庭を訪問したりする必要があるでしょう。何か引っかかりを感じたとき、管理職や保健室の先生かられんらくを取ってもらうこともできます。
「貧困」の大きな問題の一つは、子どもたちの選ぶ将来の道が少なくなってしまうということ。子どもたちを理解するため、教師も保護者も、視点の一つに「貧困」ということをしっかりもっていただければと思います。
Information
「あかはなそえじ先生のひとりじゃないよ」
四六判・全248ページ
1400円+税
学研教育みらい刊