【美しいイラストで知る 歴史をつくった女性人物ストーリー】 第16回 苦難の中でも日記を書き続けた少女<アンネ・フランク>
教科書などを読むと、男性の歴史人物を多く目にする印象がありますね。でも、世界・日本の長い歴史の中には、歴史をつくる活躍をした女性も数多くいるのです。
ここでは、多くの困難に立ち向かいながら、信念を貫き、功績を残した女性たちの姿を美しいイラストとともに紹介します。歴史をつくった女性たちのストーリーを入り口に、日本や世界の歴史を知る旅に出かけましょう。
6月12日は、アンネの日記の日※です。第16回は、ドイツ占領下のオランダで日記を書きつづり、夢を持ち続けた少女、アンネ・フランクを紹介します。
※アンネの日記の日…アンネが13歳の誕生日の1942年6月12日、プレゼントとして日記をもらい、書き始めたことに由来します。日記の日ともいわれています。
アンネ・フランク (1929年~1945年/ドイツ・オランダ)
「わたしたちユダヤ人にとって、本当に苦難の時代が始まったのは、このときからです」
アンネが日記を始める前のことをふり返って、こう書きつづったのは、独裁者ヒトラー率いるナチス・ドイツが、アンネ一家が住むオランダを占領したときのことです。ヒトラーは、国民の言論・思想の自由を奪い、ユダヤ人を徹底的に差別する政策をとっていたのです。
アンネが13歳のとき、一家はナチスから逃れるために、隠れ家で暮らし始めます。見つかればどこかに連れていかれ、殺されてしまうという恐怖と不安におびえる毎日。そんな不自由で息をひそめて過ごした生活の様子を、アンネはくわしく日記に書きました。この日記こそ、アンネ一家がナチスに連れていかれるまで書きつづられた、今も世界中で読み継がれている『アンネの日記』です。
隠れ家での生活はアンネ一家を含め、8人での共同生活でした。「ここではみんなすっかり笑うことも忘れてしまいました」。アンネは日記に自分の素直な気持ちを書きつづります。「人と話したい、自由になりたい、友達が欲しい、ひとりになりたい!そして何よりも……思い切り泣きたい!」壮絶な生活の中でも、アンネは希望を失わずに前向きに過ごしました。
約2年間続いた隠れ家での生活は、ナチスに見つかり突然終わります。不衛生な強制収容所に連れていかれ、7か月後アンネは発疹チフスにかかり息を引き取りました。「戦争が何になるのだろう。なぜ人間は、お互い仲よく暮らせないのだろう」。聡明な15歳の少女が残した日記は、平和の大切さを今も訴え続けています。
【歴史解説】彼女が生きたのはどんな時代?
“ヒトラーが首相になる! (1933年)”
ドイツで、ナチスを率いるヒトラーが首相となって政権を握り、ほかの政党を解散させて独裁を確立しました。このような体制をファシズム※といいます。やがてヒトラーは周辺国への侵攻を開始し、1939年には第二次世界大戦を引き起こしました。
※ファシズム…民主主義や自由主義を認めない独裁的な政治体制のこと。第一次世界大戦後のイタリアで始まった。
“日中戦争始まる! (1937年)”
中国では蒋介石(しょうかいせき・チャンチェシー)率いる国民政府(国民党)と、毛沢東(もうたくとう・マオツォトン)率いる共産党の内戦が続いていました。しかし、中国での領土拡大をねらう日本に対抗するために内線を停止。1937年盧溝橋(ろこうきょう・ルーコーチアオ)事件をきっかけに日中戦争が始まりました。
“太平洋戦争が勃発! (1941年)”
1937年の日中戦争開戦後、日本はアメリカやイギリスと対立を深めます。1939年に第二次世界大戦が始まって世界が緊張状態にある中、日本がハワイの真珠湾を奇襲攻撃するとともにイギリス領のマレー半島に上陸して太平洋戦争が始まりました。戦争は長期化し、国民の生活は大変苦しくなりました。
出典
『歴史をつくった女性大事典<1>古代~近世の巻』
『歴史をつくった女性大事典<2>近代~現代の巻』
学研プラス(編)/監修:服藤早苗(埼玉学園大学教授)
各定価:3,520円(税込)