【美しいイラストで知る 歴史をつくった女性人物ストーリー】 第18回 フランス最後の悲劇の王妃<マリー=アントワネット>
教科書などを読むと、男性の歴史人物を多く目にする印象がありますね。でも、世界・日本の長い歴史の中には、歴史をつくる活躍をした女性も数多くいるのです。
ここでは、多くの困難に立ち向かいながら、信念を貫き、功績を残した女性たちの姿を美しいイラストとともに紹介します。歴史をつくった女性たちのストーリーを入り口に、日本や世界の歴史を知る旅に出かけましょう。
7月14日は、パリ祭の日で、フランス革命記念日です。第18回は、フランス革命で、断頭台の露と消えたフランス最後の王妃、マリー=アントワネットを紹介します。
マリー=アントワネット (1755年~1793年/オーストリア・フランス)
白い肌に豊かな金髪、引き締まったウエストに優雅な身のこなし。オーストリアのハプスブルグ家※に生まれたマリー=アントワネットは、社交界でも評判の美人でした。そんなマリーに結婚の話が持ち上がります。相手はフランス王太子ルイ。祖国のための結婚でした。
1770年、マリーは祖国をあとにし、ベルサイユ宮殿で結婚式を挙げます。初めて顔を合わせるルイにマリーはほほえみかけますが、ルイはうまく応じてくれません。自分に自信が持てないルイは、マリーにもうまく接することができなかったのです。4年後、ルイは王として即位。マリーは年若いフランス国王妃となります。
※ハプスブルグ家…中世以来のヨーロッパで権勢を誇った、由緒ある名門の王家。スイス北部の貴族からおこり、家名はスイス北部にある山城「ハプスブルク(鷹の城)」に由来している。
「さあ舞踏会へまいりましょう!」フランスでのマリーは毎日遊びほうけていました。結婚生活はうまくいかず、愛されている実感が持てなかったのです。そんな心の空洞を埋めるように、ぜいたくをして遊ぶ日々を続けていました。
けれども、子どもが誕生すると、マリーは心を入れ替え、愛情を注いで子育てをします。時には子どもにおもちゃを我慢させることもあり、よき母になっていました。
しかし、マリーを待ち受ける運命は残酷でした。1789年7月14日、生活難に苦しんだパリの民衆が立ち上がり、フランス革命が勃発。国王や大貴族中心の政治に対し、民衆の怒りが爆発したのです。2年後、国外への逃亡を図ったマリーたちは捕らえられ、裁判で死刑が決定します。マリーは大衆の前でギロチン(断頭台)にかけられました。37歳の波乱の生涯でした。
【歴史解説】彼女が生きたのはどんな時代?
“アメリカが独立を宣言! (1776年)”
イギリスの植民地だった北アメリカ東部に移住した人々が、1775年、イギリスからの独立戦争を起こしました。植民地側は、翌年の1776年に独立宣言を発表。フランスなどの支援を受けて1783年に勝利し、イギリスはアメリカの独立を認めました。
“フランス革命が起こる! (1789年)”
1789年、絶対王政※に不満を持つ市民がバスチーユ牢獄を襲撃してフランス革命が始まり、市民の代表からなる国民議会は「人権宣言」を発表しました。
※絶対王政…国王が絶対的な権力をもって政治を行うしくみ。
出典
『歴史をつくった女性大事典<1>古代~近世の巻』
『歴史をつくった女性大事典<2>近代~現代の巻』
学研プラス(編)/監修:服藤早苗(埼玉学園大学教授)
各定価:3,520円(税込)