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【美しいイラストで知る 歴史をつくった女性人物ストーリー】 第20回 珠玉の名作を残した女性作家たち<樋口一葉・向田邦子>

【美しいイラストで知る 歴史をつくった女性人物ストーリー】 第20回 珠玉の名作を残した女性作家たち<樋口一葉・向田邦子>

教科書などを読むと、男性の歴史人物を多く目にする印象がありますね。でも、世界・日本の長い歴史の中には、歴史をつくる活躍をした女性も数多くいるのです。
ここでは、多くの困難に立ち向かいながら、信念を貫き、功績を残した女性たちの姿を美しいイラストとともに紹介します。歴史をつくった女性たちのストーリーを入り口に、日本や世界の歴史を知る旅に出かけましょう。

8月22日は、昭和の人気作家・脚本家の向田邦子(むこうだくにこ)の命日、木槿忌(むくげき)です。向田邦子は、昭和の樋口一葉(ひぐちいちよう)とも言われた人物です。第20回は、心に残る名作を残した明治と昭和の女性作家たちを紹介します。

樋口一葉(ひぐちいちよう) (1872年~1896年/日本)

「わたしも作家になろう」と一葉が決心したのは18から19歳のころ。当時一葉は「萩の舎(はぎのや)」という和歌・古典の塾の生徒でしたが、その塾の先輩が作家デビューして多額の原稿料を得たことを知ったのです。
一葉にはお金が必要でした。父と兄を失った樋口家では、母と妹との3人の生活を一葉が支えていました。しかし、仕事はたまに針仕事があるくらいで、明日の生活費にも困るような状態が続いていました。一葉は、その苦境を作家になることで乗り切ろうと思ったのです。このことが、明治を代表する女性作家の一人を生み出すきっかけとなりました。

一葉の才能は文学仲間も認めるものでした。文学修行を重ねつつ、一葉は作家としてデビューを果たします。その後『大つごもり』『たけくらべ』『にごりえ』などの名作を生み出し、作品発表の場も広がります。一流文芸誌にも作品が載るようになり、一葉の名も高まります。
「果てしない大海原に出てしまったかのよう。でも、もう引き返すことなどできない」と、取り巻く世界の変化に戸惑いつつ、一葉は前を見据えます。しかし、時代はまだ明治の半ばで、作家が筆だけで生計を立てるのは難しい時代でした。また、収入の大半を父の残した借金にあてたため、文名は上がっても、生活は依然貧しいままだったのです。よりいっそうの活躍が期待される中、病魔に襲われ、1896(明治29)年、24年の生涯を閉じます。短い活動期間でしたが、珠玉の作品群が残されました。

向田邦子(むこうだくにこ) (1929年~1981年/日本)

厳格な父親と優しい母親のもと、4人きょうだいの長女として生まれた邦子。にぎやかな家庭に育ち、専門学校(現在の大学)卒業後まもなく映画雑誌の編集者になります。誘われてラジオやテレビ番組の台本を書くようになり、放送の世界に没頭。脚本家として独り立ちした後は、ホームドラマ「寺内貫太郎一家」「阿修羅のごとく」など、テレビドラマ史に残る名作を次々にヒットさせます。
「この家がどういう朝ごはんを食べるのか、献立ができれば話はできたも同然」。これは邦子の口癖です。邦子が描く何気ない家族の風景は、邦子が育った家庭そのものでした。昭和に生きる平凡な家族をテーマに人間模様を鮮やかに描き、作品はいずれも高視聴率をマーク。作品は「向田ドラマ」と呼ばれ、多くの人に支持されました。

邦子は20年余りで1000本以上もの作品を手がけ、売れっ子脚本家として活躍。その才能は放送の世界だけにはとどまらず、旅行や料理を愛し、猫と暮らす私生活の様子を描いたエッセーも人気に。小説を書き始め、1980年、50歳の時に男女の日常的な風景を描いた初めての短編集で直木賞を受賞。さらなる飛躍が期待されていました。
しかし、その翌年、邦子は旅行先の台湾で、乗っていた飛行機の墜落事故に遭い、突然亡くなってしまいます。没後も邦子の作品は愛され続け、その脚本は時代を超えてわたしたちを楽しませてくれています。

【歴史解説】彼女たちが生きたのはどんな時代?

樋口一葉が生きた時代“日清(にっしん)戦争が起こる! (1894年)”
1894年、朝鮮の支配権をめぐって、日本と清(中国)との間で戦争(日清戦争)が起こりました。翌年、日本が勝利して下関(しものせき)条約が結ばれ、日本は遼東(リアオトン・りょうとう)半島や台湾、多額の賠償金などを得ました。その後、ロシア・フランス・ドイツが遼東半島を清に返すように求め、日本はこれに応じました。これ以後、国民の間にロシアへの反感が強まりました。

向田邦子が生きた時代“高度経済成長が始まる! (1950年半ば~)”
日本経済は、1950年代半ばから高度経済成長と呼ばれる経済成長を続けました。国民の生活は便利で快適になり、1960年代半ばから家庭に普及したカラーテレビ・クーラー・カー(自家用車)は、頭文字をとって「3C(サンシー)」と呼ばれました。

 


出典
『歴史をつくった女性大事典<1>古代~近世の巻』
『歴史をつくった女性大事典<2>近代~現代の巻』
学研プラス(編)/監修:服藤早苗(埼玉学園大学教授)
各定価:3,520円(税込)

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