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【美しいイラストで知る 歴史をつくった女性人物ストーリー】 第21回 乱世の中で強く生きた戦国時代の姫たち<亀姫・細川ガラシャ>

【美しいイラストで知る 歴史をつくった女性人物ストーリー】 第21回 乱世の中で強く生きた戦国時代の姫たち<亀姫・細川ガラシャ>

教科書などを読むと、男性の歴史人物を多く目にする印象がありますね。でも、世界・日本の長い歴史の中には、歴史をつくる活躍をした女性も数多くいるのです。
ここでは、多くの困難に立ち向かいながら、信念を貫き、功績を残した女性たちの姿を美しいイラストとともに紹介します。歴史をつくった女性たちのストーリーを入り口に、日本や世界の歴史を知る旅に出かけましょう。

8月25日は、細川(ほそかわ)ガラシャの命日です。1600年のこの日、ガラシャは人質になることを拒否して壮絶な最期を遂げました。第21回は、戦国時代という乱世の中で強く生きた二人の姫を紹介します。

亀姫(かめひめ) (1560年~1625年/日本)

亀姫は、徳川家康(とくがわいえやす)とその正室・築山(つきやま)殿の長女として誕生。17歳のとき、奥平信昌(おくだいらのぶまさ)に嫁ぎます。信昌は長篠(ながしの)の戦いで功績を上げたため、その褒美として家康は娘の亀姫と結婚させたのです。さらに関ヶ原(せきがはら)の戦いでも信昌は功績を上げ、亀姫の夫という優遇もあり、10万石を与えられ、大名へと大出世を果たします。
時の権力者である家康の娘らしく、亀姫は勝気な性格でした。領民は我の強い女性のことを「まるで亀姫様だ」と言ったそうです。信昌も亀姫には強く物を言えなかったことでしょう。

亀姫が55歳のころ、息子・家昌(いえまさ)、夫・信昌が相次いで亡くなってしまいます。亀姫にとって孫に当たる忠昌(ただまさ)がわずか7歳で家を継ぐことになり、亀姫は忠昌の後見役になります。忠昌は12歳のとき、格下の地域へ領地替えをさせられました。これを幕府の重臣・本多正純(ほんだまさずみ)の差し金と信じた亀姫は、正純に将軍暗殺の濡れ衣を着せて流刑にしたといわれています。亀姫は66歳で亡くなるまで、一族をしっかりと守りました。

細川ガラシャ(ほそかわがらしゃ) (1563年~1600年/日本)

評判の美女であった明智光秀(あけちみつひで)の娘・玉(たま)は、16歳で同い年の細川忠興(ほそかわただおき)と結婚しました。仲を取り持ったのは明智・細川両家の主君、織田信長(おだのぶなが)でした。しかし幸せな結婚生活は、本能寺(ほんのうじ)の変で突如暗転します。忠興は、主君である信長を倒した玉の父・光秀からの同盟要請を拒みます。そして謀反人の娘になった玉を、離縁を装い、領内の味土野(みとの・現在の京都府丹後〈たんご〉市)山中に幽閉しました。
信長の後継者となった豊臣秀吉(とよとみひでよし)に許され、玉は約2年の幽閉生活から夫と子らの元に戻りましたが、忠興は外聞をはばかって玉に外出を禁じました。「人の世のなんとはかないことか。男たちに振り回される女の宿命のなんと悲しいことか」と思い、苦しんでいた玉の心の支えになったのが、キリスト教でした。

折しも秀吉によって「バテレン追放令」が出されていましたが、玉は洗礼を受け、キリシタン(キリスト教徒)になりました。洗礼名はガラシャ、「神の恩寵」という意味でした。忠興は激怒し、棄教を迫りましたが、ガラシャは頑として聞き入れませんでした。
関ヶ原の戦いの直前、徳川家康に味方した忠興は、ガラシャに「絶対に敵対する石田三成(いしだみつなり)の人質になるなと命じて出陣しました。ガラシャの屋敷が三成軍に囲まれると、キリスト教の教えで自害ができないガラシャは、家臣に胸を突かせます。「ちりぬべき 時知りてこし 世の中の 花も花なれ 人も人なれ(散るべき時期をわきまえてこそ花は花、人は人なのでしょう)」。こんな辞世の歌を残し、38歳の短い生涯を閉じました。

【歴史解説】彼女たちが生きたのはどんな時代?

“本能寺の変が起こる! (1582年)”
1582年、明智光秀は、中国地方で戦っている豊臣秀吉を助けるための出陣を命じられました。しかし、光秀は中国地方には向かわず、京都の本能寺にいた主君・織田信長を襲い、自害させました。これを「本能寺の変」といいます。

“大阪城が完成する! (1585年ごろ)”
大阪城は、1583年に豊臣秀吉が築き始め、全国統一の拠点とした城です。難攻不落といわれた名城でしたが、1615年の大坂夏の陣(おおさかなつのじん)で焼失しました。現在のものは3代目で、1931年に天守閣が再建されました。

“関ヶ原の戦いが起こる! (1600年)”
豊臣秀吉の死後、勢力を強めた徳川家康と、豊臣政権を守ろうとする石田三成が対立。全国の大名が家康率いる東軍と、三成率いる西軍に分かれて戦いました。これを関ヶ原の戦いといいます。勝利した家康は、全国支配の実権を握りました。


出典
『歴史をつくった女性大事典<1>古代~近世の巻』
『歴史をつくった女性大事典<2>近代~現代の巻』
学研プラス(編)/監修:服藤早苗(埼玉学園大学教授)
各定価:3,520円(税込)

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