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【美しいイラストで知る 歴史をつくった女性人物ストーリー】 第22回 気高く生きたオーストリア皇后<エリーザベト>

【美しいイラストで知る 歴史をつくった女性人物ストーリー】 第22回 気高く生きたオーストリア皇后<エリーザベト>

教科書などを読むと、男性の歴史人物を多く目にする印象がありますね。でも、世界・日本の長い歴史の中には、歴史をつくる活躍をした女性も数多くいるのです。
ここでは、多くの困難に立ち向かいながら、信念を貫き、功績を残した女性たちの姿を美しいイラストとともに紹介します。歴史をつくった女性たちのストーリーを入り口に、日本や世界の歴史を知る旅に出かけましょう。

9月10日は、19世紀のオーストリアの皇后・エリーザベトの命日です。第22回は、その生涯がミュージカルとして世界各地で上演されている、真っ直ぐに気高く生きた女性であるエリーザベトを紹介します。

エリーザベト (1837年~1898年/オーストリア)

エリーザベトはドイツの侯爵の娘として生まれました。美しい容姿を持ちながらも自由を愛するエリーザベトは、馬を乗りこなしたり、街中で楽器演奏のチップを受け取る少女に扮したりと、楽しく毎日を送っていました。

15歳の夏、エリーザベトは母や姉と一緒に、避暑地へ出かけます。実はこの時、姉のお見合いが計画されていました。相手はオーストリアの若き皇帝、フランツ・ヨーゼフ1世です。
ところが、フランツは姉ではなく、妹のエリーザベトに一目ぼれ。エリーザベトはプロポーズされてしまったのです。まだ少女だったエリーザベトは大いに戸惑い、悩みます。「わたしに皇后が務まるのかしら?」不安でいっぱいのエリーザベトでしたが、求婚を受け入れることを決意します。

若くて美しい皇后の誕生に、民衆はわき、国内はもちろん、他国からもエリーザベトは注目の的となりました。しかし、自由奔放に育ったエリーザベトにとって、宮廷生活は堅苦しいものでしかありませんでした。しかも夫は政務に追われ留守がち。子どもが生まれても乳母に預けられ、親子らしく過ごすこともできません。
やがて心身のバランスを崩すようになったエリーザベトは、療養のため旅から旅の生活を送ります。宮廷を離れて旅をしているときが、彼女の唯一生きる喜びを感じられる時間でした。

そんなある日、旅先で突然暴漢におそわれ、エリーザベトは命を落としてしまいます。その知らせに、フランツはこう嘆きました。「わたしがシシィをどれほど愛したかわかるまい」。
シシィ…エリザベートの愛称。

【歴史解説】彼女が生きたのはどんな時代?

“アメリカ大統領リンカンが奴隷解放を宣言! (1863年)”
アメリカ合衆国では、1861年、南北間の内戦の南北戦争が始まり、北部と南部が激しく争いました。戦争中の1863年、北部を指導するリンカン大統領は奴隷解放宣言を出します。この後、北部が勝利しました。

“オーストリア=ハンガリー帝国成立! (1867年)”
1867年、オーストリアは、支配下にあったハンガリーをパートナーと認めて、ハンガリー王国が成立。オーストリア皇帝がハンガリー王を兼ねたのでオーストリア=ハンガリー帝国といわれます。
隣国ハンガリーを愛したエリーザベトは、独立運動の際、夫にかけあってハンガリーの自治を実現。エリーザベトは今も「ハンガリーの永遠の恋人」とたたえられている。


出典
『歴史をつくった女性大事典<1>古代~近世の巻』
『歴史をつくった女性大事典<2>近代~現代の巻』
学研プラス(編)/監修:服藤早苗(埼玉学園大学教授)
各定価:3,520円(税込)

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