クラウンの定期訪問
あかはなそえじ先生の院内学級の教師として学んだこと「第90回」
院内学級の教師として、赤鼻のピエロとしてかかわるなかで、笑顔を取り戻し、治療に向かう意欲を高めていく子どもたち。その経験をもとに、子どもとの接し方や保護者・家族とのかかわり方、院内学級の必要性、教育の重要性などについて語ってくれます。
クラウンはもう充分?
以前、あかはなを付けたクラウン(ピエロ、道化師)の話をしましたが、クリニ・クラウン協会やホスピタル・クラウン協会に所属する、入院中の子どもたちを訪問してくれるクラウンがいます。クラウンたちが大切にしていることの一つに「定期訪問」があります。
クラウンたちが来てくれると、手品やバルーン、おふざけなどをしてくれるので、暇(ひま)をもて余している子どもたちは大喜び。子どもたちにとってクラウンの訪問は、大イベントなのです。ただ、盛り上がれば盛り上がるほど、クラウンたちが帰った後のさびしさが大きくなります。だから、また必ず来てくれることが決まっているということは、子どもたちにとって大切なことでもあるのです。
一方で、訪問が当たり前になってくると「風船、今日はいらない」と、周囲が「せっかく来てくれたのに」と言いたくなるような反応をする子どもが出てきます。訪問してくれることが、子どもたちにとってイベントではなく、日常になってくるのです。
しかし、そうなると今度は、クラウンを「いっしょにトランプをやらない?」とさそったり、「今日は少しお話を聞いてもらいたいんだけど」となやみを打ち明けたりする子どもが出てきます。クラウンの訪問がイベントのままだったら、このようなことは起こらないでしょう。
そうなのです。クラウンたちは、実は定期訪問を続けることで、イベントが日常に変わっていくことを考えているのです。
日常と非日常
入院をすること、治療を行うことは、本来であれば非日常のことです。でも、入院している子どもたちにとっては、入院生活が日常となり、遊ぶことや学ぶことが非日常となっていきます。これは、当たり前のように思えますが、子どもの成長過程を考えると、とってもこわいことだと考えます。
「治ったらまたできるから。だから今は治療に専念しようね」と大人に言われます。
子どもたちは、遊ぶことや学ぶことでエネルギーがたまります。
治療に向かうエネルギーも増えます。どのような状態であっても日々、成長を続けています。遊ぶことや学ぶことが日常であれば、たとえ入院治療中であっても、日常を保障してあげることがとても大切なことであると思うのです。
守るべき日常とはなにか
ある日、病室の男の子から「今度、いつ来るの?」と聞かれました。
院内学級の担任をしているとき、私が病院にいることは、子どもたちや保護者、病院にとって日常でした。しかし、男の子に聞かれたとき、私は男の子にとって非日常(イベント)になっているのかもしれないと感じたのです。
それは、私が院内学級に週1回しか顔を出さないようになったため、それ以降、初めて出会う子どもにとって、私は「〇曜日に来る先生」であり、担任としての日常が非日常になったことを気づかされました。
当時、私は院内学級のない病院に学びを届けるべく、訪問させていただいていました。
教育は、子どもたちにとって日常の営みです。入院中でも24時間ずっと患者でいるわけではありません。子どもたちが「遊びたい」「学びたい」と思ったとき、当たり前のように、遊びや学びを提供できる場や人員を整えていきたいと考えます。
不登校やいじめ、虐待(ぎゃくたい)、貧困などにより、本来の子どもとしての日常をうばわれている子どもたちもいます。
子どもにとっての日常を保障するためにはどうすればよいのか、私は病気のある子どもたちの教育を通して、これからもしっかり考えていきたいと思うのです。
Information
「あかはなそえじ先生のひとりじゃないよ」
四六判・全248ページ
1400円+税
学研教育みらい刊