病院のこども憲章~子どもの教育について医療が考えていること①
あかはなそえじ先生の院内学級の教師として学んだこと「第95回」
院内学級の教師として、赤鼻のピエロとしてかかわるなかで、笑顔を取り戻し、治療に向かう意欲を高めていく子どもたち。その経験をもとに、子どもとの接し方や保護者・家族とのかかわり方、院内学級の必要性、教育の重要性などについて語ってくれます。
「もう少しよくなってから」
今から18年ほど前、昭和大学病院の院内学級に配属され、病棟(びょうとう)の子どもたちに会わせていただきました。私は、ドクターに
「ベッドの上にいる子どもたちに、勉強を教えたいのですが」と伝えたところ、
「先生、もう少しこの子たちの状態がよくなってから、来ていただけませんか」と言われました。
今思えば、「勉強」という言葉を使ったことがマイナスだったのかもしれないと考えます。今だったら、
「この子たちの発達を、学習を通して保障したいのです」
という伝え方をします。医療(いりょう)に関わるとき、言葉の伝え方はよく考える必要があります。
ただ、当時はそのようなことを考えることができず、困惑(こんわく)したことを覚えています。
「意味があるのか?」
ちょうど同じ頃、重症(じゅうしょう)心身児といわれるお子さんに会わせていただきました。脳波はフラット、数値上では目が見えていない、耳も聞こえていないといわれたお子さんです。そのお子さんのお父さんに
「この子に本を読んであげたいです。歌をうたってあげたいです。体操をさせてあげたいです」とお伝えすると、お父さんが言いました。「先生、この子にそんなことをして、何の意味があるのか?」と。
私が「意味はあると思います」ときっぱり答えると、「わかった。だったら会ってもいいよ」と許可をいただけました。
お父さんは、これまでの教師に同じ問いを繰(く)り返していたそうです。
後日、「あのとき、先生が間髪(かんぱつ)入れずに答えてくれたから、信用することにした。子どもに会わせることにした」と話してくれました。
このお父さんは、それまでどれだけの「傷つき」を抱(かか)えてこられたのだろうか、と考えました。
「学ぶことは生きること」への保障
何度も書きましたが、病気を抱えた子どもたちへの教育に当たっては、常に「治ってからでいいでしょう」という考え方があることを感じます。実は、教師にもこういう考えをもっている人が多いのです。
多くの教師に「病気のある子に教育は必要か」と質問すると、大概(たいがい)「必要です」と答えてくれますが、実際、入院をしている子どもや保護者を目の前にすると「今は治療を一生懸命(いっしょうけんめい)にやりましょう。勉強は治ってからでいいですよ」と言ってしまいます。
もちろん、入院しているお子さんの優先順位の第1位は治療です。ただ、24時間のうち、治療のために要する時間は、実はごく僅(わず)かなのです。
特に、いちばんつらい時期を乗り越(こ)え、ある程度、調子がよくなってくると、どんどん「ヒマな時間」が増えていきます。学校のことを考える余裕(よゆう)が出てくると、勉強の遅(おく)れに対する不安がわいてきます。
なによりも、子どもたちにとって「学ぶことは生きること」なのです。
それを保障する人や場所が、医療の中には必要であると考えます。たとえ子どもがどのような状態であったとしても、です。
学ぶことは子どもの尊厳の一つ。入院中の子どもたちの教育は、子どもたちにとっての人権課題であると考えます。
Information
「あかはなそえじ先生のひとりじゃないよ」
四六判・全248ページ
1400円+税
学研教育みらい刊