【日体大・野井真吾先生に聞いた!コロナ禍の子どもたちは今】第3回 外出自粛生活の中で、家庭で気をつけるべきことは?
2021年を迎えてすぐに、新型コロナウイルスの感染拡大により、2度目の緊急事態宣言が発出されました。昨年の休校措置や今でも続く常にマスクをしての生活などで、多くの子どもが今までにないストレスを抱えていると思います。
そんなストレスを抱える子どもたちのからだが心配な保護者の皆さんに、日本体育大学教授・野井真吾先生が教える、コロナ禍における「子どもの元気」についての連載を全3回でお送りしています。
第3回は、ストレスをためないために、家庭の中でできることについてです。
現在も不要不急の外出を控える生活を送っている子どもたち。ストレスをためないために、生活の中で気をつけるべきことはありますか?
子どもの生活には「光・暗闇・外遊び」が必要不可欠です。
日中外遊びをして太陽の光を浴びると、精神を安定させる神経伝達物質「セロトニン」が分泌されます。外出自粛生活中も人の少ない近所の公園などに出て、日の当たる時間帯に外遊びをするように心がけましょう。外出が難しい場合は、できるだけ日当たりのいい部屋や窓際で過ごすとよいでしょう。
また、夜は暗闇を感じることによって、昼間に作られた「セロトニン」が、眠気を誘うホルモン「メラトニン」に変化します。メラトニンには体と脳をリラックスさせ眠りの質を良くする役割があります。夜遅くまで起きてゲームやネットに浸る生活だと、このメラトニンがうまく分泌されないのです。早寝早起きをすれば、朝から規則正しくご飯を食べて、3食のリズムも整います。
外出自粛が求められている中でも、「光・暗闇・外遊び」の3つを意識することで生活リズムをキープすることができるのです。
外出自粛生活で在宅時間が長くなりますが、家の中ではどのように過ごせばいいのでしょうか?
「やる気」の基盤である前頭葉を育てるには、「ワクワク・ドキドキ」できる体験が必要です。家にずっとこもっている外出自粛生活では、どうしてもワクワク・ドキドキできるチャンスが減ってしまいますよね。
それならば、長いおうち時間をいかして、読みたかった漫画を全巻読破してみたり、新しい料理に挑戦してみたり、コロナについて調べてみたり……。普段の学校の授業では学べないことや、時間がないとできないことに挑戦してみてはいかがでしょうか。
子どもがワクワク・ドキドキできることを求めるのは、ごく自然な発達欲求です。時間がたくさん作れる今こそ、なにか没頭できることを見つけられるようサポートしてください。
長期休校の影響による学校の授業の遅れや、行事が軒並み中止になっていることが心配です。
学校の授業が遅れていることを不安に思うこともあるかもしれませんが、人生100年、学び急ぐことはないのです。むしろ、今まで飛ばしすぎていたのだから、少しゆっくりしてもいい。この一見「無駄」に思える時間こそが今後の人生の役に立つかもしれません。
国連子どもの権利委員会による声明(2020年4月8日)には、「今回のパンデミックに関する意思決定プロセスにおいて、子どもたちの意見が聴かれかつ考慮される機会を提供すること。子どもたちは、現在起きていることを理解し、かつパンデミックへの対応の際に行なわれる決定に参加していると感じることができるべきである」と明記されています。
運動会や修学旅行などの子どもにとって大切な学校行事が、大人の意思だけで中止になっていますが、学校行事は本来、子どもと話し合う機会を作り、どうしたらいいのか一緒に考えて決めるべきことなのです。自分たちのことについて意見する機会すらもらえないような社会では、子どもたちはますます口を閉ざしてしまいます。
家庭でも学校での休み時間や休日をどう過ごしたらいいか、子どもと一緒に考える機会を作ってみてほしいと思います。
「withコロナ」の世界で生きていく子どもたちに、必要な学びとはどんなものでしょうか?
連載第2回の緊急調査の結果から、従来の学校の環境が子どもにストレスを与えていた可能性が考えられます。早くコロナを収束させて元の生活を取り戻したいという言葉をよく聞きますが、少なくとも子どもの育ちや学びに関してはbeforeコロナに戻すことが得策とは言えません。
たとえば、学校が子ども一人一人に寄り添えるように、少人数学級を早期実現することや、コロナ対策でますます忙しくなる養護教諭を複数配置することなども必要な対策ではないでしょうか。
子どもは「群れ」で育つもの。言い換えると、三密が子どもを育ててきたのです。
休校中の緊急調査でも、子どもたちからは「オンライン授業よりも学校に行って対面の授業を受けたい」という声が多数寄せられました。学校には「授業」による学びだけでなく、子どもと子どもの関係性で得られる学びがたくさんあるのです。
withコロナ時代の日常においては、身体的な三密は回避しなくてはなりませんが、子どもの声に耳を傾けながら「精神的な密」をどう作り出していくのかが、当面の課題であると思います。