自然の海を舞台に、風の強さや向き、
しおの満ち引きで変化していく“波”に、
ボード1つで立ち向かう「サーフィン」の
みりょくにせまります!
動画に登場してくれた達人、近江さんが波に乗っているすがた。 波をくぐりぬけるわざ「チューブライド」を決めているのだ!
南の島の古代人の生活から
遊び、そして競技へ!
南太平洋の島々にくらす古代ポリネシア人が、漁のためにボートで波に乗る方法をあみ出し、そこから木の板で波に乗るようになったのがサーフィンの始まりだと言われています。
1964年に国際サーフィン連盟(ISA)、1976年にはげんざいの世界プロサーフィン連盟(WSL)の元となる団体が生まれ、プロサーファーの世界ツアーがスタート。ブームを後おししたのがサーフィン映画の数々で、1964年に公開されたドキュメンタリー映画『エンドレス・サマー』や、1978年公開の青春映画『ビッグ・ウェンズデー』などが大ヒット、世界中で波乗り人=サーファーにあこがれるたくさんの若者を生みました。
日本ではなんといってもはいゆうの加山雄三さん。1963年公開の映画『ハワイの若大将』さつえいのためにサーフィンを覚え、翌年、そのうでまえを茅ヶ崎でひろう。スポーツ新聞などで「波乗り日本第1号」としょうかいされました。愛好家のふえたで日本にも1965年、日本サーフィン連盟(NSA)が発足。1966年には第1回全日本選手権大会が開かれました。1981年には日本プロサーフィン連盟(JPSA)も生まれされ、日本でもプロサーファーがたんじょうしたのです。
アルファベットでおぼえようサーフィンのだんたい
ISA | International Surfing Associationの頭文字。世界のサーフィン競技とアマチュアサーファーを束ねる、国際サーフィン連盟。 |
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WSL | World Surf Leagueの頭文字。世界のプロツアーを運営する、世界プロサーフィン連盟。 |
NSA | Nippon Surfing Associationの頭文字。日本でのサーフィンふきゅうにつとめ、アマチュア選手の海外大会はけんなども行う、日本サーフィン連盟。 |
JPSA | Japan Pro Surfing Associationの頭文字。日本でのプロツアーを運営する、日本プロサーフィン連盟。 |
波を見極めてライディング!
サーフィンはふく数のジャッジによるさい点で勝負が決まります。波に乗ることをライディングとよび、1回のライディングで、うまく波に乗れたか、わざのむずかしさや積極せいなど、さい点きじゅんにしたがってとく点が決まっていきます。試合はヒートとよばれ、1ヒートは30分ほどで、4~5人が同時に海へ入ります。時間内にき定回数(10本ほど)までライディングできますが、海では同じ波は2度ときません。数多く波に乗ったりたくさんのわざを出すよりも、自分が持つ最高の技を仕かけられる“良い波”を選ぶことも大切です。良い波に同時に乗ろうとする選手のかけ引きも、見どころの1つです。
世界にビッグウェーブを
起こせ、波乗りジャパン!
東京2020オリンピックのサーフィン日本代表チームは「NAMINORI JAPAN(波乗りジャパン)」とよびます。カリフォルニア生まれでおさないころから波と育ち、2021年のWSLランキングでも上位(6月20日げんざい6位)につける五十嵐カノア選手や、中学生の時にJPSAでプロ資格を取り、各種大会で好せいせきをおさめ続ける18さい、松田詩野選手など、男女3名ずつ6人が選ばれています。
サーフィンの競技にってい
7月25日~8月1日の内4日間(予選2日、準々~準決勝1日、決勝1日)
※競技に適した波のコンディションで開催
会場:釣ヶ崎海岸サーフィンビーチ
波に乗ってほほに流れる
風の気持ち良さはかくべつ!
最後に登場する達人は、近江俊哉さん。元WSLジャパン代表、現サーフィン・ジャパン・インターナショナル代表理事。テレビや配信での世界最高峰のワールドツアー大会中継の解説者としてもおなじみ。神奈川県湘南は鵠沼というサーフィンのメッカに生まれ、1980年代から国内外のプロツアーで活躍。世界中のサーフスポットをたずねて回り、サーフィン専門誌の監修やサーフィン競技の運営などにもたずさわってきた近江さんに、サーフィンのすばらしさを語ってもらいます。