まんがでわかる! 意外と身近な名曲クラシックの世界・第3回「ベートーヴェン」
クラシック音楽ってむずかしい……?
いえいえ、そんなことはありません! クラシックはいわゆる当時の流行ソングで、その時代を生きる人々にさまざまな場面で親しまれ、愛されてきました。
長い時を経た現代でも、テレビや町のなかで、私たちは気がつかないうちにたくさん耳にしています。
これから、作曲家とその有名な曲のお話を、『伝記 世界の大作曲家 15人の偉人伝』のまんがのシーンと共に紹介していきます。
ぜひクラシック音楽と仲よくなってくださいね🎹🎵
「ダダダダーン!」はなんの音? 名曲「運命」の誕生
始まりから「ダダダダーン!」と響(ひび)く、4つの音がとても印象的なこの曲は、「運命」という名前で親しまれている、ベートーヴェン作曲の「交響曲(こうきょうきょく)第5番」の第1楽章です。
緊張感(きんちょうかん)にあふれたはじまりを聴くと、悲劇がおとずれたり、おどろくような事実が発覚したり、などの衝撃的(しょうげきてき)なシーンが頭にうかんできませんか?
「運命」というタイトルの由来は、弟子のひとりが
「最初の4つの音はなにを表しているのか?」
とベートーヴェンに聞いたところ、
「運命はこのように、とびらをたたくのだ」
と答えたから、といわれています。
4つの音は形を変えながら、第1楽章から最後の第4楽章にかけて、何度もくりかえし登場します。ぜひ耳をすまして探してみてくださいね。
努力でつかんだ名声! ベートーヴェンの幼少期
ライオンのたてがみのような白髪(しらが)交じりの髪、まるで怒っているかのようなするどいまなざしと、赤いスカーフに黒のコート……。 ベートーヴェンと聞くと、音楽室にある肖像画(しょうぞうが)を思い出す方も多いのではないでしょうか。
ベートーヴェンの本名は「ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」。
ドイツのボンに生まれ、宮廷(きゅうてい)楽団の楽長をつとめる祖父、そしてテノール歌手の父親につづく音楽家になるため、幼いころから厳しい音楽の指導を受けます。
第2回で紹介したモーツァルトが活躍していたのもこの時代で、2人の年の差は14歳ほど。
神童・モーツァルトにつづく天才少年と呼ばれたベートーヴェンは、父の期待に応えるため、さまざまな努力を積みかさね、自信と力を身につけていきます。
耳が聞こえない!? 音楽家ベートーヴェンの苦しみと情熱
やがて、ベートーヴェンは活動の場を「音楽の都」とよばれるウィーンに移します。
モーツァルトとの出会いや、有名な演奏家との協演などの活躍(かつやく)を通して、ベートーヴェンの評判はウィーン中にどんどん広まっていき、やがては彼の書いた曲を求めて出版社がおしかけてくるほどになりました。
しかし、次々に曲を発表していたそのころ、思いがけない悲劇がおそいかかります。頭痛と耳鳴りになやまされる日々がつづき、だんだんと耳が聞こえなくなりはじめたのです……。
音楽を生みだし、奏でることで生きてきたベートーヴェンにとって、この苦しみは計りしれないほど大きなものでした。弟にあてて遺書(いしょ)を書くほど、追いつめられていきます。
しかし、心を許した友人や弟子に支えられ、ベートーヴェンは絶望の底からはいあがり、このころからより一層の情熱をもって、音楽をつくるようになったのです。
「交響曲第5番『運命』」やピアノ曲『エリーゼのために』といった、現在も広く親しまれている名曲を生み出しつづけ、やがて世界中の人々の心をつかむあの名曲を完成させます。
それは、『歓喜(かんき)の歌』としてその合唱が年末の風物詩にもなっている、「交響曲第9番」でした。この名曲は、まさにベートーヴェンの魂(たましい)そのものといえる一曲だったのですね。
56歳でこの世を去ったベートーヴェンをしのび、葬儀(そうぎ)には2万人もの人々が集まりました。
「楽聖」(とてもすぐれた作曲家や演奏家のこと)と呼ばれたベートーヴェンの残した名曲の数々は、いまも私たちの生活をさまざまな場面でいろどっています。
第3回「ベートーヴェン」はいかがでしたか?
ベートーヴェンについてもっと知りたくなったら、ぜひまんがの続きも読んでみてくださいね。
次回はピアノの詩人、「ショパン」を紹介します。お楽しみに!
●前回の記事はこちら
まんがでわかる! 意外と身近な名曲クラシックの世界 第2回「モーツァルト」
Information
出典
『新版 伝記世界の大作曲家―15人の偉人伝―』
学研プラス(編)
監修・指導:ひの まどか
定価:1,870円(本体1,700円+税10%)