まんがでわかる! 意外と身近な名曲クラシックの世界・第4回「ショパン」
クラシック音楽ってむずかしい……?
いえいえ、そんなことはありません! クラシックはいわゆる当時の流行ソングで、その時代を生きる人々にさまざまな場面で親しまれ、愛されてきました。
長い時を経た現代でも、テレビや町のなかで、私たちは気がつかないうちにたくさん耳にしています。
これから、作曲家とその有名な曲のお話を、『伝記 世界の大作曲家 15人の偉人伝』のまんがのシーンと共に紹介していきます。
ぜひクラシック音楽と仲よくなってくださいね🎹🎵
「ピアノの詩人」ショパンが生んだ、華麗(かれい)なワルツ
今回取りあげるのは「華麗なる大円舞曲(だいえんぶきょく)」。
始まりを告げる高らかなファンファーレのあとには、軽やかな3拍子のリズムがつづきます。
その華やかさとテンポの良さはまるで、きらびやかな広間で美しく着かざった男女が、楽しそうにクルクルと回り、おどっているよう。まさに「華麗なる円舞曲(=ワルツ)」です。
ワルツとは、3拍子のリズムに合わせておどる舞曲で、農民のおどりがそのはじまりといわれています。
ショパンは、生涯(しょうがい)で19曲のワルツを作曲しました。この曲は記念すべき第1曲目です。その19曲のなかには、とても有名な「子犬のワルツ」も。ぜひほかのワルツも聴いてみてくださいね。
ピアノを愛した、天才少年ショパン
ショパンは1810年にポーランドの首都ワルシャワで生まれました。
正式な名前は「フレデリック・フランソワ・ショパン」。
フランス人の父と、ポーランド人の母のもとで、ショパンはのびのびとした幼少期を過ごします。
6さいで本格的にピアノを習いはじめたショパンが演奏会を開き、作曲をはじめたのはなんと8さいのとき。ポロネーズ(ポーランド起源のダンス曲)や行進曲などのピアノ曲を次々と発表して、天才少年の名をほしいままにします。
そして、16さいのときに、音楽を専門的に学べるワルシャワ音楽院に転校したショパンは、自分の独創性を理解して自由に学ばせてくれる教師たちに恵まれて、充実(じゅうじつ)した青春時代を過ごしました。
華やかな世界へ! ショパンの挑戦(ちょうせん)
ショパンの人生をふりかえるうえで、故郷・ワルシャワの存在は欠かせません。
19さいの夏、ショパンはオーストリアのウィーンで演奏会を開き、大成功をおさめます。そのままヨーロッパ各地を回って名声を高めてワルシャワに帰り、演奏会のためふたたびウィーンにもどります。
しかしその後、ショパンが故郷に帰ることはありませんでした。
長く支配されていたポーランドで、1830年に独立を求める革命が起こります。そしてその混乱のなか、彼の大切な故郷ワルシャワは戦火に包まれてしまったのでした。
その後ショパンは当時の芸術の中心地だったフランスのパリにわたり、最先端(さいせんたん)の芸術家が集まっていたサロンで、小説家のジョルジュ・サンドと知り合います。彼女に助けられ、安定した生活のなかで
「私は、これほど美しい曲を今までに書いたことがない」
と語った「別れの曲」や、激しい怒り(いかり)や失望を表現した「革命のエチュード」など、現代でも広い世代に愛され続ける数々の名曲を生み出しました。
1849年、持病の結核(けっかく)が悪化したショパンは自宅で息を引きとりました。パリの墓地に埋葬(まいそう)されたショパンの遺体の上には、故郷ポーランドの土がまかれたと伝えられています。
ピアノの詩人・ショパンの魂(たましい)は、きっと常に故郷ワルシャワと共にあるのです。
第4回「ショパン」はいかがでしたか?
ショパンについてもっと知りたくなったら、ぜひまんがの続きも読んでみてくださいね。
次回は、アメリカ民謡(みんよう)の父・フォスターを紹介します。
お楽しみに!
- 前回の記事はこちら
まんがでわかる! 意外と身近な名曲クラシックの世界 第3回「ベートーヴェン」
Information
出典
『新版 伝記世界の大作曲家―15人の偉人伝―』
学研プラス(編)
監修・指導:ひの まどか
定価:1,870円(本体1,700円+税10%)