WEB限定 書き下ろし小説

トリシア、セドリックのお姫様になる?

「トリシア嬢、ちょっと悪人にさらわれてくれないか?」

 ある日の夕方。
セドリックは診療所に入ってくるなり、トリシアに尋ねた。その後ろには、最近よく一緒にいるエメラルド・ドラゴンの少年、ライムの姿も見える。
「嫌」
トリシアの答えは明確だった。
「どうしてこのわたしがさらわれないといけないのよ?」
「実はだね……どはっ!」
セドリックはトリシアの手を握ろうとするが、その手をちょうど治療中だった犬に噛みつかれる。
「もう帰っていいわよ。手当は済んだから」
トリシアは犬にそう告げると、あらためて涙目になっているセドリックを見つめる。
「で? もう一度聞くけど、どうしてこのわたしがさらわれないといけないのよ?」
「実は、将来きっと書かれることになる、この僕の英雄物語に、こう、何というかーー」
セドリックはいい言葉が見つからないのか、顔をしかめ、こめかみのあたりで指を回した。
「派手で感動的なエピソードが欲しいんだそうです」
隣にいるライムがセドリックに代わって説明する。
「それで、トリシアさんに悪人にさらわれるお姫様になってくれないかなあって」
「……帰って」
トリシアはふたりを診療所から追い出した。
「まったく! 私はそんなにヒマじゃないっていうの!」
トリシアは扉を閉じてふんがいする。
「トリシア嬢〜! お願いだよ〜、僕にとって最愛の姫君は君しかいないんだ〜」
扉を隔てた向こう側で、セドリックは訴えた。
「……まあ、そう言われて悪い気はしないけど。セドリックに関わると、ろくなことがないし」
トリシアはため息をつく。
「ちゃ〜んと悪人のみなさんも雇っているし、準備は整っているんだよ〜」
セドリックは続ける。
「……その悪党ってどうせ」
トリシアは扉越しに尋ねる。
「おしゃべりフクロウとか、ヴォッグじゃないの?」
「すごいね、トリシア嬢! 君って、人の心も読めるのかい!?」
セドリックは素直に驚いた。
「この街に、あなたに付き合うようなヒマな悪党って他にいないでしょ!」
「言われてみればその通〜り!」
と、誇らしげな声が答える。
「……セドリック、絶対に扉の向こうで胸張ってるわね」
トリシアが小さく首を振ったその時。
「ヒマで悪かったわね!」
誰かが背中からトリシアをおさえつけた。
「ほら、アジトに運ぶわよ!」
「へい、親分!」
(この声! おしゃべりフクロウとヴォッグ!)
トリシアはもがいたが、大きな木箱に押し込まれ、誰か(たぶんヴォッグ)にかつぎ上げられると、どこかに運ばれていった。