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「相変わらず、この店は騒々しいな」
入ってきたのは、旅の服装をしたひとりの青年。
「フェリノールさん?」
森の妖精アールヴの長の息子で、魔法使いアンリやアムレディア姫とともに戦った英雄のひとり、そしてセルマの古い友人でもあるフェリノールだ。
「あんたもこっちに来な」
セルマはフェリノールのことも、近くに呼び寄せる。
「なんだ?」
眉をひそめながらも、従うフェリノール。
「家賃」
セルマはアールヴに向かって手を差し出した。
そう。
このフェリノールも、三階に部屋を借りているのだ。
「私がここの部屋を利用したのは、この半年で三日ほどだぞ? それで家賃を払えなどど……」
「家賃!」
セルマはフェリノールの抗議をさえぎる。
「あんたが実際に使ってなくても、部屋は取ってあるんだから! アンリやレンはちゃんと払ってるよ!」
アンリやレン、それにアムレディアも自分の部屋を?三本足のアライグマ?亭に持っているが、この三人はちゃんと家賃を払っている。
「そうか?」
フェリノールは、それがどうした、というような顔をする。
「やつらはやつら、私は私だ」
「……こいつ、十か月払ってない」
記録を調べるセルマの手が、ワナワナと震える。
「十か月待てたのだ。一年待てないことはないな」
「こ、この不良アールヴ!」
セルマはフェリノールに向かって椅子を振り上げた。
「わーっ! セルマさんが怒った!」
あわてるスピンクス。
「逃げた方が良さそうですわね!」
雪の乙女は提案する。
「とりあえず、私の部屋に立てこもりましょう!」
と、メデューサ。
「フェリノールがよけいなこと言うから!」
メデューサの部屋は、三階の端。
階段を駆け上がりながら、トリシアは横目でにらむ。
「私のせいではない。これはいわば、人間とアールヴの文化の違いだな」
並んで走りながら、フェリノールは肩をすくめた。
「フェリノールさんのお父さんって、アールヴの長なんでしょ? どうして貧乏なのよ?」
「貧乏って言うな。誇り高きアールヴは、人間の金貨など持ち歩きはしないのだ」
「い、いばることじゃないよね」
バタン!
五人はとりあえずメデューサの部屋に飛び込むと、扉を閉める。
「ねねねね! セルマさん、大家だし、ここの鍵持ってるんじゃないの!?」
と、スピンクス。
「こうすれば!」
メデューサは壁に立てかけてあったモップを手に取ると、ドアノブに引っかけてカンヌキの代わりにした。
「よし! これで入ってこれません!」
「無駄な抵抗のような気が……」
勢いで一緒に逃げてはみたものの、トリシアはだんだん不安になってくる。
「そんなことはありません。こんなこともあろうかと、非常用の食料をためてあるんです」
メデューサはベッドの下から、ズルズルと箱を引っ張り出した。
中には、山ほどクッキーやキャンディーが入っている。
「これで十日は、この部屋に立てこもれます」
「そんなに食料買うお金があったら……。って、そういえば思いだした! あんた、わたしのとこの治療費も、まだ払ってないよね?」
トリシアはこめかみを押さえた。
「すべてはデートのためです!」
言い切ったメデューサは、この家賃不払い組でも一番、たちが悪そうである。
「分かりますわ! 愛はすべてに優先するんですわね」
情熱的な恋にあこがれる雪の乙女は、うっとりとした顔になる。
「とにかく、大家さんの怒りが収まるまで、ここから動けないってことだよね?」
クッキーを食べ始めるスピンクス。
「それを待つしかないかあ」
トリシアは寝台に座ると、扉の方を見る。
だが。
その扉の外では、セルマがフィリイに何かを命じていた。
「……お行き」
「はーい」
ポンッ!
半吸血鬼のフィリイはコウモリの姿に変身すると、窓から外に出てグルリと回り、メデューサの部屋の窓から中に入り込む。
「何です、このコウモリは!?」
コウモリに気がつく雪の乙女。
「変身ー」
フィリイは人間の姿に戻ってトンと床の上に立つと、扉に駆け寄ってモップを外した。
「はい、どうぞー」
「よくやったね、フィリイ!」
扉が開き、セルマがズカズカ入り込んでくる。
「逃ーがーさーん!」
ぐいっ!
まずスピンクスが、尻尾をセルマにつかまれた。
「あーん! 捕まっちゃったー!」
「窓から! こんなこともあろうかと、下にワラがつんでありますから、飛び下りても平気です!」
メデューサは、フィリイが入ってきた窓を指さした。
「スピンクスさん! あなたの犠牲、無駄にしませんわ!」
「まあ、命まで取られはせん。……たぶんな」
ダッ!
意外とあっさり見捨てて窓から飛び下りる、雪の乙女とフェリノール。
「ごめん!」
「急いでください!」
トリシアとメデューサもそれに続く。
ドサッ!
トリシアたちの体はワラ山ではねて、地面に転がった。
「今度はどこに隠れます!?」
ワラまみれになった雪の乙女が、みんなを見た。
「診療所に!」
中庭を通り、トリシアが先頭になって走る。
だが、その時。
「ト、トリシア先生!」
誰かが、トリシアを呼び止めた。