お江戸を拝見!
消防博物館
地下鉄丸の内線の四谷三丁目駅のすぐ上にある「消防博物館」では、江戸時代から現代までの消防の歴史と技術を見ることができる。このページでは、「江戸の火消」コーナーを、ちょっと拝見!(右の写真手前は、エントランスに展示されている「馬牽(ひ)き蒸気ポンプ」。明治32年(1899)の国産品で、石炭で火をおこしてから、放水に必要な蒸気圧力が得られるまで、約20分を要した。)
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■竜吐水(りゅうどすい・写真左)と玄蕃桶(げんばおけ・写真右)
当時の放水ポンプである竜吐水は、放水するところが龍が水を吐く姿に似ていることからこの名前がつけられた。長い腕木の両端を2名以上で上下に動かし、中の水を押し出す。竜吐水には、玄蕃桶を使って水を入れた。
写真奥は半纏(はんてん・右)と刺子半纏(さしこばんてん・左)。刺子とは、布地を細かく、いわゆる雑巾刺しに縫ったもので作った衣服の呼び名。刺子半纏は布地を二重三重に重ね合わせて作られていて、吸水性に富んでいる。火事場に赴く時は頭から水をかぶり、刺子半纏に水を含ませ、火を防いだ。
■水鉄砲(左写真)
竜吐水の補助として使用した。
■鳶口(とびくち)(右写真)
火事場で、天井や屋根を破壊するのに使用されたもので、棒の先端の鉤の形が、トンビのくちばしに似ていることから、この名前が付けられたといわれる。
鳶頭は、柄の長さが60cmほどの指揮鳶、平人足は170cmほどの長鳶を使ったといわれている。
■大刺又(おおさすまた)
戸や柱, 壁などを打ち破って、家屋を押し倒すときに使った。写真のものは長さおよそ5メートル。ほかにもさまざまな長さのものがあった。
■纏(まとい)
いろは48組、本所・深川16組の纏。纏はもともと、戦の際の馬印として使われていたもの。纏の形はそれぞれの組で異なるため、どの組が火事場に一番乗りしたかが一目瞭然であった。纏持ちは江戸時代の花形の職業だった。
■半鐘
写真のものは嘉永2年(1849)に鋳蔵されたもの。駒込町の自身番屋の火の見梯子に吊るし、使用されていた。
■火事兜(写真左)
大名火消や定火消の役を仰せつかった大名・旗本は、初期には戦国時代の鎧兜で火事場に向かった。火事場での重い兜は邪魔になるため、独特の火事兜が使用された。
■武家火消装束(写真右)
武家火消が火事場に出場するときに着用したもの。馬上で警備・指揮にあたる際の礼装でもあった。
■武家火消の図
左に描かれているのが、火災に出場する定火消。右は武家の子女が奥方火事装束に身を包み、避難する様子。雑踏の中でも目立つよう、色鮮やかな衣装だった。
■奉書(ほうしょ)
大名火消の中には、奉書火消といって、大火のときに老中から臨時に奉書を受けて消防にあたるものもあった。写真は貞享2年(1685)に、老中から大名の松平伊豆守にあてた奉書。
ジオラマで見る江戸の消防
江戸時代の町並と町火消の活躍を精巧に再現したジオラマでは、江戸時代の消防の様子をつぶさに見ることができる。
火災より風下の家屋を倒壊させ、延焼を防ぐ。
5人が大刺又を使い、柱を倒そうとしている。
竜吐水で放水する。
屋根の上にあがり纏を振る纏持ち。
火事場に駆けつける町火消。
防火用として、雨水をためておく
「天水桶(てんすいおけ)」を屋根の上に置いた。
火災が起こると目塗りをして、土蔵に火が入るのを防いだ。
自身番屋には、枠火の見という簡単な火の見梯子があり、半鐘が吊るされていた。
火の見櫓。
取材協力=東京消防庁 消防博物館