前編
エドラルでの小さな事件から数か月後。
時代は大きく変化していた。
永きに渡った絶望の時は終わりを告げ、アムリオン王国は平和の喜びに満ち溢れていた。
そして、その平和をもたらしたのが、アムレディア王女と、魔法使いアンリ。
二人は仲間たちとともに、恐怖で人々を支配する貴族たちを討ち破り、希望と自由を取り戻したのだ。
だが。
アンリは戸惑っていた。
「……どうして、僕なんかが宮廷魔法使いに?」
アムレディア王女から強引にその職に就くように伝えられて以来、アンリには眠れない日が続いていた。
宮廷魔法使いとはいっても、平和になった今、特に何かすることがあるわけではない。
ただ、時おり、王女の相談に乗ればいいだけのこと。
アムレディア王女はそう説明するのだが、どうも居心地が悪い。
宮廷では、誰もがアンリに尊敬のまなざしを向けた。
年の近い貴族の令嬢たちは、あいさつをするだけでキャアキャアと大喜びする。
大人の騎士たちまでもが敬礼し、アンリ殿と呼ぶのだ。
「……旅してた頃が、一番気楽で良かったなあ」
息抜きに王城を抜け出し、王都をぶらつきながらアンリはつぶやく。
人にほめられたり、持ち上げられたりすることに慣れていないのだ。
「いっそ、みんなに黙って王都から出て行こうかな……」
そんなことを考えながら、中央広場を通りかかった時のこと。
「泥棒だ! 捕まえてくれ!」
食料品の露店が並んでいるあたりから、誰かが叫ぶ声がした。
「!」
アンリは誰かが人込みをかき分けて、こっちに走ってくるのに気がつく。
次の瞬間。
「どけよ!」
「おっと!」
自分の脇をすり抜けようとする小さな人影の腕を、アンリはつかんでいた。
「……余計なことに首を突っ込む性格、何とかしないとなあ」
ため息をつくアンリ。
「放せ!」
手をつかまれた男の子は、もがきながらアンリをにらむ。
だが。
「お、お前!?」
「君は……確か、レンっていったよね?」
アンリと少年は、お互いの顔を見て同時に気がついた。
「おまっ、生きてたのかよ!?」
目をまん丸にするレン。
『赤衣教団』の総本山であれだけの騒ぎを起こし、無事でいられるわけがないと思っていたのだ。
「ま、まあね」
アンリとアムレディアはあの後、教団に捕らえられ、その総本山から脱出するために、大変な冒険をしたのだが、それはまた別の話である。
「その果物は?」
アンリはレンが握っているリンゴを見て尋ねた。
「か、買ったんだよ、文句あるか!?」
視線をそらすレン。
「……本当だね?」
「当たり前だろ! だから放せよ!」
と、そこに。
「この悪ガキが!」
露店の果物屋の主人らしい男が、ハアハア息を切らせて追いついてきた。
「おうっ! あんた、ありがとな!」
果物屋の主人はアンリの肩を叩く。
「そのガキ、もう六日連続でうちの店から果物をかっぱらってやが……」
そう言いかけたところで、主人は気がついた。
「って、あんた、アンリかい!? 魔法使いの!?」
「……ええ、まあ」
(どうしてみんな僕の顔を知ってるんだろ?)
アンリは王都から逃げ出すことを、本気で考え始めた。
「このすばしっこいガキを捕まえるなんて! やっぱすげえんだねえ、魔法使いってのは!」
主人は感心する。
「いや、別に魔法使ったわけじゃ……」
と、アンリ。
「来い! 警備兵に突き出してやる!」
「あの」
アンリは、レンを引っぱって警備兵のところに向かおうとする主人を呼び止めた。
「その子、今回は許してあげてくれませんか?」
「へ?」
「知ってる子なんです」