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11月
さ霧消ゆる 湊江の 船に白し 朝の霜
ただ水鳥の 声はして いまだに覚めず 岸の家
11月7日は“立冬”…冬の始まりです。この日を過ぎると初霜が降り始め、冬の気配が濃くなってきます。そして11月22日の“小雪”の頃、北国からは初雪の便りが届き始め、12月7日の“大雪”を迎えると一気に本格的な冬の到来です。
今月の1曲は、そんな冬を先取りして…。日本の初冬の風景を詠った「冬景色」です。第1節“早朝の漁港”、第2節“昼の田園”、第3節“夜の村里”の歌詞の中に、霧、霜、水鳥、烏、麦踏み、小春日、時雨、ともしびなど、美しい初冬の日本の風景が巧みに盛り込まれています。国語学者の金田一春彦は「尋常小学唱歌の中で、歌詞がもっとも優れている。簡潔に朝昼夜の天候の変化を写したのは見事(中略)小学校のときに覚えた歌詞を口ずさんでいるうちに、その趣がわかってきた」と、この曲を絶賛しました。また、この曲の素晴らしさは、歌詞が「六五調」で、曲が4分の3拍子である、とも指摘しています。確かに、この曲が誕生するまでは「六五調」の歌詞はなく、3拍子の曲調と相俟って斬新な印象を与えたようです。
大正2年(1913年)に発表された『尋常小学唱歌(5)』に収載。唱歌は特定の作者を明記しなかったため、時代を経た今も作者が決定できない曲も数多く、この曲も不明のまま現在に至っています。 (く)
*参照『私の心の歌—冬』(学研パブリッシング刊)
9月
紅葉(もみじ)
まだまだ厳しい残暑が続く9月…とはいえ、時折吹く爽やかな風、空を見上げるとうろこ雲、耳をすませばコオロギの鳴き声…と、少しずつ秋を感じる時間が増えてくる季節でもあります。
今回は、日本の秋を代表する一曲をご紹介しましょう。
“秋の夕日に 照る山紅葉 濃いも薄いも 数ある中に〜”
この、日本を代表する名曲「紅葉」は、1911年(明治44年)発刊の『尋常小学唱歌(第2学年)』に合唱曲として掲載されました。作詞は国文学者の高野辰之(1876〜1947年)、作曲はオルガニストで東京音楽学校教授の岡野貞一(1878〜1941年)。ふたりは小学唱歌教科書の編纂委員として出会い、この曲のほかにも、「故郷」「朧月夜」「春の小川」「春が来た」など、皆さんがよくご存知の名曲の数々を世に送り出しています。唱歌の多くが“四七抜き音階”で作られているなか、岡野はあえてファとシを抜かず、西洋風に曲を仕上げました(クリスチャンで教会のオルガニストでもあったことから、賛美歌を参考にしているとも言われています)。当時の日本人にとってこの曲の響きは、さぞや新鮮だったのではないでしょうか。
なお、歌詞に描かれた紅葉は、上信国境碓氷峠の景色なのだそうです。高野はいつも蒸気機関車で峠を越え、故郷の長野県に帰郷していました。峠の急勾配をゆっくりと登る汽車の窓から見える、夕日に映える山々。高野が見たそんな絶景を思い浮かべながら、この歌を味わってみましょう。(く)
*参照『わたしの心の歌-秋』(学研パブリッシング刊)
6月
今月は「雨」にまつわる童謡「てるてる坊主」(作詞:浅原鏡村/作曲:中山晋平)についてお話ししましょう。
遠足や運動会の前の日、雨空を見上げながら、てるてる坊主を吊るした経験はどなたでもあることでしょう。さて、このてるてる坊主、発祥が中国ということはご存知でしたか?「掃晴娘(サオチンニャン)」という、箒を持った女の子の人形を作り、「雨雲を箒で掃いてお天気にして!…」と願いを込めて吊るす、という風習が日本に伝わり、江戸時代に今のような形で定着しました。日本国内でも地方によってその風習はさまざまのようで、例えば、晴れを祈るときには白い布、雨乞いをするときには黒い布で、てるてる坊主を作る地方、ノッペラボウのてるてる坊主を作り、晴れたら顔を書く天気祭りを行う地方などがあるそうです。ちょっと変わった風習や謂れなど、「てるてる坊主」にまつわる面白いお話がありましたら編集室までメールをお寄せください!
ところでこの歌、3番まで歌ったことがある方って少ないと思いますが、けっこう残酷なのです。1番と2番は、「晴れたら鈴やお酒をあげるからお願い…晴れにして!」という内容なのですが、3番は一転、「晴れなかったら首をちょん切るぞ!」。おおッ、コワッ!!!
*参照『わたしの心の歌-春』(学研パブリッシング刊)
5月
新コーナーです!
このコーナーでは「童謡」を採り上げ、この日本固有の音楽(文化)の素晴らしさをお伝えしていきたいと思います。
「童謡」というジャンルが、児童雑誌『赤い鳥』の創刊(大正7年)により誕生したことはご存知ですね?代表の児童文学者、鈴木三重吉の「芸術性豊かで、子どもたちの空想力や情緒を育むような曲」を子どもたちに与えたい、という思いが反映された作品がたくさん作られました。この『赤い鳥』については別の機会にお伝えするとして、では、童謡の第一号となった曲は何でしょう…?
…それは…、西条八十(やそ)作詞・成田為三(ためぞう)作曲の「かなりや」。『赤い鳥』に発表された童謡の中で、楽譜付きで掲載された初めての曲なのです。“クリスマスの夜、教会にいた数羽のかなりやの中で、一羽だけ鳴かないかなりやがいた。まるで歌を忘れてしまったように思えた”と、八十自身がみた光景が描かれています。3番までと4番で、曲と歌詞の雰囲気が大胆に変わるのが特徴で、人々に大正デモクラシーの「自由と豊かさ」を感じさせたのでした。(く)
*参照『わたしの心の歌-春』(学研パブリッシング刊)
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