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12月
名曲誕生物語
音楽作家:ひのまどか
《トルコ行進曲》モーツァルト作曲
30年位前、向田邦子さん脚本のテレビ・ドラマ「阿修羅の如く」が大評判になりました。ドラマは、平凡な生活を営む四姉妹の心に潜む阿修羅(戦いの鬼神)を抉り出した強烈なお話でしたが、それ以上に強烈だったのがテーマ音楽です。一度聴いたら忘れられない“おどろおどろしい”音楽。実はそれは、15〜17世紀にヨーロッパを恐怖に陥れたオスマン・トルコ軍の行進曲だったのです!
トルコと言えば、私の脳裏には世界的な民族音楽学者、小泉文夫氏の言葉が刻み込まれています。「トルコ人っていうのはね、特別優れた文化的センスを持っていて、ヨーロッパに攻め入る時も武力だけではなく、音楽を上手に使ったんですよ。その代表的な例が軍楽隊です」。要約すると、トルコの軍楽隊はド派手な衣装と大音響の鳴り物で敵の度肝を抜き、その勢いで敵軍を味方に引き入れ、太鼓やラッパの合図で言葉の通じない外国勢をまとめた、とのことでした。
ところで、1756年生まれのモーツァルトは、オーストリア対トルコ戦を知らない世代です。彼がウィーンに定住したのはそれから100年も後のことで、その頃には陽気なウィーンっ子はトルコ軍の置きみやげのコーヒーや、トルコの軍楽隊のけたたましい音楽に夢中になっていました。当然モーツァルトも、その前後のハイドンやベートーヴェンも、教会や宮廷の音楽とは全く異質のエキゾティックで勇猛なトルコ音楽に魅せられました。そして競い合うようにピアノ曲、ヴァイオリン曲、オペラ、交響曲にトルコ風のリズムやメロディーを取り入れたのです。皆さんもご興味があれば、モーツァルトの《トルコ行進曲》とYou Tubeにもアップされているトルコの軍楽を聴き較べてみて下さい。面白いですよ。
トルコ軍がヨーロッパに持ち込んだ楽器はその後今のオーケストラの楽器に生まれ変わり、軍楽隊は現代のブラスバンドに発展しました。トルコの軍楽隊はヨーロッパ文化に、それ程大きな影響を与えていたのです。
オーストリア 対 トルコ戦とは?
オスマン・トルコ帝国は、13世紀末から次々と勢力を拡大し、16世紀にはアジア、アフリカにまたがる大帝国に発展した国です。その後、さらに勢力を拡大しようと、ヨーロッパに攻め入り、二度にわたってウィーンを包囲しました。1683年には20万を越える大軍で攻めてきたそうです。
陥落寸前まで追い込まれましたが、応援に駆け付けたポーランドなどの連合軍によって辛うじて救われました。モーツァルトがウィーンに住み始めたのはそれから100年後のことです。
トルコ・ブームから生まれた作品
●トルコ行進曲 〜ピアノ・ソナタ 第11番 第3楽章 モーツァルト作曲 トルコ軍楽の躍動感に満ちたこの曲は、ピアノ学習者の憧れの名曲として有名ですね。楽譜には「Alla Turca(トルコ風に)」と記され、モーツァルトがトルコ音楽を意識的に取り入れていたことがうかがえます。作曲年に関する資料が少なく、1781年説、1783年説があります。 |
●トルコ行進曲 〜《アテネの廃墟》より モーツァルトの同名作品と並んで人気のこの曲は、1812年にドイツ劇場のこけら落としで初演された付随音楽《アテネの廃墟》の第5曲にあたります。トルコ軍楽風のリズムが特徴です。 |
●《後宮からの逃走》 モーツァルト作曲 トルコの宮殿にさらわれた恋人を助け出す若者のおはなしのジングシュピール(歌芝居)です。1782年に初演され、トルコ・ブームで盛り上がるウィーンの人々のあいだで大ヒットしました。 ●交響曲 第100番《軍隊》 ハイドン作曲 1793年から翌年にかけてロンドンで作曲されました。第2、4楽章でトルコの軍楽隊の打楽器を使用しています。 |
● 学研 音楽まんがシリーズ ■菊判/176頁/1C/CD付き |
10月
名曲誕生物語
音楽作家 ひのまどか
アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳
アンナ・マグダレーナさんはどんな人だったのでしょう。
美人?ふつう?長身?小柄?髪の色は?目の色は?
残念ながら何も分りません。今から300年も前の封建時代のドイツでは、彼女の様な平民の女性が肖像画に描かれることは先ず無かったので、容姿の情報は皆無なのです。
でも、分っている事も沢山あります。彼女は音楽家の家庭で育った才能あるソプラノ歌手で、娘時代から宮廷楽長バッハを神様のように尊敬していたこと。
20歳そこそこで16歳年上のバッハと結婚し、その日から病死した前の奥さんの遺児4人の母親になり、自分も次々に子どもを(13人も!)生みながら、全力で夫に尽したこと、等々。
ちょっと考えてみて下さい。あなたはそんな大変な結婚を望みますか?娘に勧めますか?それに相手は今でこそ「バロック音楽最大の巨匠」と讃えられていますが、当時は君主のケーテン侯に音楽で仕える使用人であり、転職したライプツィヒでも市や教会の上司たちにこき使われる、いわば音楽職人だったのです。生活も質素でした。アンナ・マグダレーナはそうした夫の立場や苦労を完全に理解して、夫を愛し、敬い、作品の写譜をして懸命に助けました。バッハがそれに報いない訳がありません。多分毎日言葉や態度で「愛しているよ」と伝えたでしょうが、彼女を最も喜ばせたのは、新妻へのプレゼントとして書き始め、その後20年以上に亘り書き足したクラヴィア練習曲集でした。
それが、2冊の《アンナ・マグダレーナの音楽帳》です。新婚早々の1722〜4年にかけて書かれた1冊目は今数曲しか残っていませんが、ライプツィヒ生活の初期1725〜40年代にかけて綴られた2冊目は、息子たちの曲やアンナ・マグダレーナの写譜も加わった家族愛の結晶となりました。彼女が家事や育児や仕事の合間にこの音楽帳でクラヴィアの腕をどんどん上げて行った事は、楽譜を見れば分りますね。
音楽帳をのぞいてみよう!
●メヌエット ト長調 BWV Anh.114 初級のピアノ曲として、最も有名な曲のひとつです。「バッハのメヌエット」として長い間親しまれてきたこの曲が、実はドイツの作曲家・オルガニストのペッツォールト作だったということがわかり、世界中を驚かせたことは、記憶に新しいですね。 |
●アリア ニ短調 BWV515 G.H.バッハ作曲 アンナ・マグダレーナと再婚してすぐに生まれた四男ゴットフリート・ハインリヒが作曲しました。これを母マグダレーナが歌いやすくト短調に移調し、歌詞を書き込み、父J.S.バッハが通奏低音をつけた譜も残されています(BWV515a)。音楽にあふれたバッハ家の風景が目にうかびますね。 |
●マーチ ニ長調 BWV Anh.122 たびたびコンクールの課題曲に選出されるなど、初級のピアノ学習者によく演奏される曲です。次男エマヌエルの作品は、このほかにもたくさん収められています。彼は、ベルリン、ハンブルク市の音楽監督を務めるなど、音楽家として活躍しました。 |
● 学研 音楽まんがシリーズ ■菊判/176頁/1C/CD付き |
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