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今日は何の日?

2月

2月14日はバレンタイン・デー

今回はバレンタインにまつわる音楽をご紹介いたします。

編集部独断!バレンタインにぴったりなクラシック音楽

サティ作曲 ジュ・トゥ・ヴ

エルガー作曲 愛の挨

リスト作曲 愛の夢 第3番

ブラームス作曲 ワルツ第15番Op.39-15

ケージ作曲 季節外れのヴァレンタイン

曲名に「チョコレート」のつくクラシック音楽

サティ作曲 アーモンド入りのチョコレートのワルツ 「子どもの音楽集」より

伊藤康英作曲 チョコレート・ダモーレ

ネリベル作曲 チョコレート・ブギー

チャイコフスキー作曲 チョコレート(スペインの踊り) バレエ「くるみ割り人形」より

湯山 昭作曲 チョコ・バー 「お菓子の世界」第8曲より

一部曲は、NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリー)で試聴できます♪
http://ml.naxos.jp/

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1月

2019年アニバーサリー作曲家

2019年にアニバーサリーイヤーを迎える作曲家をご紹介いたします。彼らに思いを馳せ ながら、ぜひいろいろな作品を聴いてみてくださいね♪ NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリー)で試聴できます! http://ml.naxos.jp/

12月

1865年12月8日はシベリウスのお誕生日

フィンランドの国民的大作曲家 ジャン(ヤン)・シベリウス

シベリウスは、幼少の頃からピアノに親しみ、作曲にも興味を示していました。本格的にピアノのレッスンを受けるようになってからは、指の練習よりも即興演奏を好んだそうです。少年時代にはヴァイオリン奏者を目指したこともありましたが、ヘルシンキ大学へ入学。のちに音楽院へ転籍し、音楽理論、作曲、ヴァイオリンを学び、更には音楽院に着任したばかりのブゾーニからピアノの指導も受けました。ウィーンに留学した時にはブルックナーなどにも師事しました。

●代表作、交響詩《フィンランディア》
彼の代表作である交響詩《フィンランディア》が完成したのは、1899年のこと。しかし当時フィンランドはロシアの治下にあったため、人々の独立心をあおる恐れがあるという理由から、演奏が中止されたり異なるタイトルでの演奏を強いられたりしました。現在では、同曲の賛美歌風のメロディーは「フィンランディア賛歌」と呼ばれ、フィンランドの第二国歌のように親しまれています。

●20世紀の交響曲作曲家
シベリウスは20世紀の交響曲作曲家としても重要です。生涯に7曲(《クレルヴォ交響曲》を含めると8曲)の交響曲を残しましたが、なかでも最もよく演奏されるのが、1902年に完成した交響曲第2番です。初演はフィンランドの首都ヘルシンキにて、本人の指揮によって行われました。この曲は大自然を彷彿させる牧歌的な雰囲気から、ベートーヴェンの「田園交響曲」にならい、シベリウスの「田園交響曲」と呼ばれることもあります。

1925年に交響詩《タピオラ》を完成させてからは、事実上の断筆状態となりました。それから約20年後の1948年に、以前創作していたものに加筆した合唱曲《フリーメーソンのための典礼音楽》を完成させたほか、弦楽合奏曲やピアノ曲をわずかに書きあげたくらいで、後半の30数年間、作品はほぼ残されていません。(の)

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♪おまけ1:まぼろしの交響曲8番??
交響曲第7番のあと、ボストンで初演が予定されていた交響曲第8番。実際に完成させましたが、作曲者の手によって破棄されたとも言われていて、楽譜がまったく存在しません。

♪おまけ2:クリスマスにぴったりなシベリウスの曲《5つの小品》より第5曲〈樅の木〉
クリスマスの陽気な雰囲気とは異なりますが、この曲もおすすめ。クリスマスツリーによく使用されるモミの木がタイトルになった曲があります。樹木の名前がつけられた《5つの小品》(通称「樹木の組曲」とも呼ばれます)の中の第5曲〈樅の木〉です。シベリウスのピアノ作品の中では、もっともよく演奏され、アンコールピースとしても人気があります。北欧の長く厳しい冬の間、孤高に佇むモミの木の様子が描かれているように感じられます。

11月

1668年11月10日はクープランの誕生日!

フランソワ・クープラン(大クープラン) 1668.11.10-1733.9.11

今年はドビュッシー没後100年であるのと同時に、フランソワ・クープラン生誕350年のアニバーサリーイヤーでもあります。350年前…想像してクラクラしている担当(か)。日本では江戸時代の初期にあたるこの頃、フランスでは太陽王ルイ14世の治世のもと、ヴェルサイユ宮殿の落成に代表されるロココの華やかな文化が花開いていました。楽器も現代とは大きく異なり、この時代の鍵盤楽器といえばオルガン、もしくは華麗な装飾を施されたクラヴサン(チェンバロ)で、フランソワ・クープランの作品を代表するのもクラヴサン曲です。

フランソワ・クープラン=大クープランは、フランスの高名な音楽家の一族に生まれました。伯父ルイはセーヌ近郊からパリのサン=ジェルヴェ教会に招かれるほどのオルガンの名手かつ作曲家で、以降、一族は100年以上にわたって、代々この教会のオルガニストを務めます。大クープランはルイの後を継いだ父シャルルを間近に見る事で、徐々にその才能を開花させました。父シャルルは大クープランが11歳になる年に亡くなってしまうのですが、教会は、幼すぎる大クープランが成長するまでの中継ぎをドラランドという当代随一の音楽家に依頼するほど、彼の才能を買っていたようです。

その後、大クープランは1693年にルイ14世のヴェルサイユ宮殿に入ります。当時、王の威光を表すために音楽は欠かせず、折々に演奏されるそれら膨大な室内楽曲の作曲(一部が「王宮のコンセール」として残されています)の傍ら、王子や王女にクラヴサンを教えてもいました。一部現代にも通用する教本「クラヴサン奏法」はこの経験から生まれたのでしょう。

そして、クラヴサン曲を語らずして大クープランは語れません。200曲以上にのぼる小品は、27の「オルドル(まとまり)」にまとめられ、各オルドルは数曲から10数曲で構成されています。鋭い観察眼で自然を描写したり、人物を風刺したりするような曲が多く、魅力的ではあるものの不可思議なタイトルがつけられているのが特徴です。まるで画家が風景画や肖像画を描くかのように作曲されたクラヴサン曲の数々。「オルドル」という言葉には“部屋”という意味もありますので、絵画を小部屋に並べて鑑賞しているイメージなのかもしれませんね。曲のタイトルのほとんどが謎めいていますが、具体的な人物が判るものもあるようですよ!(か)

10月

10月25日は ジョルジュ・ビゼー(1838-1875)の誕生日

ビゼーは1838年、フランス・パリで生まれました。声楽教師の父と、ピアニストの母のもと、幼い頃から英才教育を受け、実質9歳でパリ音楽院に入学。アレヴィやグノーに師事し作曲を学びました。ソルフェージュやピアノ、オルガンなどのクラスで優秀な成績を修め、早くからその才能が見込まれていたとおり、1857年、ローマ大賞を獲得し、ローマへ留学。帰国後はピアノ講師や編曲、校正、他の作曲家のオペラのオーケストレーションなどを地道にこなしながら、自身のオペラ制作を続けました。1872年、ドーデの戯曲《アルルの女》の付随音楽27曲を書きますが、音楽の好評判とは裏腹に演出のクオリティが低く、初演は失敗。その後《アルルの女》を組曲に編曲し、大成功を収めます。そして1874年、オペラ《カルメン》が完成。当初は、その過激な内容から“野蛮なオペラ”として聴衆や批評家たちに敬遠され、オペラ・コミック座での初演は大失敗。《カルメン》の初演からわずか3か月後、持病が悪化し、36年の短い生涯を終えました。

《カルメン》を通して伝えたかったこと

今日では大人気オペラとして、世界中で上演されている《カルメン》。それなのに、なぜ初演は失敗に終わったのでしょうか?
ビゼーは長年、レチタティーヴォ形式の本格オペラを上演するオペラ座か、歌と台詞で進行する形式の作品を上演するオペラ・コミック座への進出を夢見ていました。《アルルの女》の後、やっとつかんだのはオペラ・コミック座でのチャンス。しかし、そこは観客の大半が家族連れ。そのような状況で、《カルメン》のような過激な内容の作品を上演することは前例がなく、賛否が分かれました。原作を尊重することと、オペラ・コミック座の客層に合わせること。この2つの狭間でビゼーたち制作陣は大きく葛藤します。

「カルメンとホセの人生に寄り添って一緒に生きたつもりになってほしい」
ビゼーは、観客に対してこのような想いを持っていました。物語の楽しさや美しさばかりではなく、人間の欲望や醜さなど、ありのままの現実を描いた作品を作ることで、オペラ界やオペラ・コミック界に革命をもたらそうとしたのです。その気になれば、リストのようなピアニストになれるとも言われていたビゼー。ピアニストとしての道を選べば、このような苦労もなかったでしょう。しかし、ビゼーは劇場で自分の作品を上演するという信念を貫き通しました。《カルメン》の初演こそ失敗しましたが、その後作品の価値は認められ、レチタティーヴォ形式に改められたオペラ版が世界中で上演されています。ビゼーの目指した革命は、間違いなく為されたと言えるでしょう。

★おすすめの書籍★

ひの まどか 著『ビゼー ―劇場に命をかけた男( 作曲家の物語シリーズ)』リブリオ出版

10月

1905年10月15日 ドビュッシー作曲「海ー管弦楽のための3つの交響的素描」初演

印象主義音楽の代表作ともいえる管弦楽曲《海―管弦楽のための3つの交響的素描》は、フランスの作曲家クロード・ドビュッシー(1862-1918)の作品です。「作曲家にならなかったら船乗りになっていた」というほど、海への思い入れが強く、独特な色彩感覚で海の様子が描かれています。3つの楽章からなり、第1楽章「海の夜明けから真昼まで」、第2楽章「波の戯れ」、第3楽章「風と海の対話」という副題が付けられています。この曲は、1903年の夏、当時の妻リリの実家(ブルゴーニュ地方)で書きはじめました。ブルゴーニュ地方は陸に囲まれているため海がなく、ドビュッシーの記憶をもとに書き進められたそうです。1904年にリリを捨て、著名な銀行家夫人のエマ・バルダックとジャージー島へ駆けおちをします。その後1905年3月5日、ドーヴァー海峡の海辺に面したイースト・ボーンで完成させました。
初演は、1905年10月15日にカミーユ・シュヴィヤール指揮、ラムルー管弦楽団の演奏によって行われました。エマとのスキャンダルがあったため、オーケストラ団員は作品と向き合おうとせず、演奏の出来はイマイチ。聴衆や批評家の反応も賛否両論だったそうです。3年後の、ドビュッシー指揮、コロンヌ管弦楽団による再演では、作品の価値が認められ、印象主義音楽、そして20世紀の音楽を代表する作品となりました。余談ですが、ドビュッシーが生粋の日本オタクだったことは有名です。《海》の初版のスコアには、葛飾北斎「富嶽三十六景」の『神奈川沖浪裏』を装丁に使うことを希望し、模写が採用されました。《海》のあと、1907年に作曲された《金色の魚》は漆芸品から着想を得て書きあげたりと、日本で生まれた作品に多大な影響を受けました。(の)

9月

1898年9月26日 ガーシュウィン誕生
George Gershwin(1898~1937)

今年は生誕120年!

プロフィール

アメリカの作曲家、ピアニスト。13歳からピアノと和声を習い始めます。ポピュラー・ソングに強く惹かれ、リミック楽譜出版の店頭ピアニストとなり、歌曲を作り始めます。1917年に作曲した歌曲《スワニー》がミュージカル《シンバッド》の中で歌われ、最初のヒット曲となりました。その後は兄アイラとタッグを組み、ブロードウェイ・ショーの曲を多数書き上げます。また、「ジャズ王」と呼ばれ、自ら楽団を率いるポール・ホワイトマンの依頼で《ラプソディー・イン・ブルー》を作曲、自らピアニストとして初演に参加しました。それ以降は、ミュージカルやポピュラー・ソングに加え、ピアノ協奏曲《パリのアメリカ人》、初の黒人だけのジャズ・オペラ《ポーギーとベス》などの優れた作品を多く残しました。20世紀前半に、最もアメリカ的な手法を作品に反映させ活躍した作曲家のひとりです。

代表作

  • スワニー(1917 作曲)* 歌曲
  • ラプソディ・イン・ブルー(1924 作曲)* 管弦楽曲
  • パリのアメリカ人(1928 作曲)* 管弦楽曲
  • ポーギーとベス(1935 作曲)* オペラ

【キーワード①】ラプソディ・イン・ブルー

クラシック音楽とアメリカ固有の音楽(特にジャズ)の融合にも取り組み、1924年に《ラプソディ・イン・ブルー》を発表。当時ガーシュウィンにとって管弦楽法は未知の領域だったため作編曲家グローフェの協力を得て、クラシックとジャズを融合させたこの作品は「シンフォニック・ジャズ」の代表的な成功例として世界的に評価されました。

【キーワード②】ラヴェル(23歳年上の先輩作曲家)

「管弦楽の魔術師」とも呼ばれるラヴェルに、作曲家としての腕を上げるため弟子入りを申込みますが、「あなたは既に一流のガーシュウィンなのだから、二流のラヴェルになる必要はない」と断られてしまいました。この時、ラヴェルのほうがアメリカの音楽に影響を受けており、2曲のジャズ風のピアノ協奏曲を書いています。

9月

1841年9月8日 チェコの作曲家ドヴォルザーク誕生
Antonín Leopold Dvořák(1841~1904)

番外編

プロフィール

ボヘミア(現在のチェコ)で生まれ、16歳でプラハのオルガン学校に入学。苦学しながら音楽家をめざした。カルテットのヴィオラ奏者や、プラハ国民歌劇場のヴァイオリン奏者を務め、スメタナの影響を受けつつ作曲活動を開始。ブラームスの知遇を得たことで作品が世に出る。40~50代のイギリス訪問と、当時“新世界”などと呼ばれていたアメリカに滞在したことによって創作力が爆発。新境地を切り開き、交響曲やオペラ、室内楽などの分野で世界的な名声を得た。その後帰国し、プラハ音楽院教授・院長として後進の育成に尽力したが、62歳で急死。

代表作

  • 交響曲第9番 ホ短調 op.95 ≪新世界より≫ (1894作曲)
  • 弦楽四重奏曲 第12番 ヘ長調 op.96 (1893作曲)
  • 8つのユモレスク op.101 (1894作曲)
  • チェロ協奏曲 ロ短調 op.104 (1894~95作曲)

【キーワード①】ブラームス(8歳年上の先輩作曲家)

1875年から給付されたオーストリア政府の奨学金の審査員を務めたブラームスは、当時無名の作曲家であったドヴォルザークの作品に感動し、ベルリンの出版社を紹介するなど積極的に援助をした。それからというもの、ブラームスとドヴォルザークは生涯にわたって友情を築きあげた。(知名度が上がったかわりに、ブラームスの影響下から抜け出せないという苦しみもあったのだとか…。)

【キーワード②】鉄道オタク

趣味は、蒸気機関車。眺めるのも好き、模型を作るのも好き。プラハに住んでいた頃は、作曲に疲れると(飽きると?)駅に出かけ、機関車を眺め気分転換をしていたそう。代表作である「8つのユモレスクop.101」の構想は、機関車に揺られている時に思いついたといわれている。

6月

1878年6月4日は日本で初めて「アンコール」が行われた日

コンサートやライブなどの最後の「アンコール!!」、いつから始まったか知っていますか?

世界で初めて「アンコール」が行われたのは、17世紀のこと。当時盛んだったイタリア・オペラで、名歌手たちがアリアを歌い終わった時に、客席の聴衆が「もう一度聴きたい!」と声をかけたことが始まりだと言われています。そして次第に声楽や器楽のコンサートでも声がかけられるようになり、この習慣が広がりました。

さて、日本で初めて「アンコール」が行われたのは、今から140年前の1878年6月4日、後楽園で開かれたコンサートです。演奏は、陸軍軍楽楽舎、近衛軍楽隊、式部職雅楽部の3つの楽団。指揮は、ドイツの軍楽指揮者で作曲家のフランツ・エッケルト*。プログラムは、ロッシーニやワーグナーの序曲など、全11曲。コンサート終盤の曲が大いに盛り上がり、もう1度その曲が演奏された……という記録が文章で残っています。

「アンコール」は、フランス語のencore(もう一度)が由来ですが、「もう一度聴きたい!」の意味を込めて用いるのは日本や英語圏の人のみだとか。フランスでは、アンコールではなく「ビス・bis(ふたたび)」と歓声を送ることが多いようです。不思議ですね。(の)

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* フランツ・エッケルト(1852 ~ 1916)
音楽取調掛では管弦楽や作曲法や和声法の指導をするなど、日本の音楽教育に尽力しました。「君が代」の吹奏楽編曲でも知られています。

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