9月8日の早朝、2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催が決定しました。50年前に味わった感動的な世界のスポーツの祭典が、再び日本で開催されることを強く願っていた私は、テレビの前で久しぶりに興奮しました。
1964年10月10日、まさに日本晴れの東京オリンピックの開会式で、白のパンツに深紅のブレザーに身を包んだ日本選手団の一糸乱れぬ行進を、小学校6年生だった私は、同じ日本人として大変誇らしく見とれていました。この時代は、私たち子どもでも日本が右肩上がりで発展していく、夜明けのような雰囲気を感じとっていた時代でした。
近年は、世の中を表す言葉として「先行き不透明な社会」「超高齢化社会」「少子化社会」など、子ども世代が未来に夢や希望を感じられない言葉が多く使われています。経済、雇用、給与や年金問題や医療・介護など安定的な将来の見通しを示す社会保障問題や安全の問題、以前の日本ではあまり起らなかった凶悪な犯罪など不安材料をあげればきりがありません。
こんな暗くて未来のない時代に誰がしたのかと、子どもたちに責められても仕方ありません。子どもには今の時代を作った責任などないのですから。
そうです。だからこそ、私たち大人が元気を出して、今一度明るい将来像を語り、未来を担う青少年達が、何を信じて、何を頼りに、何をがんばればよいのかを明確に示していく必要があると強く思います。
その意味からも、今回の東京オリンピック・パラリンピックの開催は大きな意味を持っていると感じています。 東日本大震災から2年半が過ぎました。今なお心の痛みが癒されず、生活の見通しが立たず不自由な暮らしをされている方々がたくさんいらっしゃいます。復興も福島原発の解決も未だ遠いのが実感でしょうか。
そんな中、スポーツは被災地を始め、元気のなかった日本を励まし続けました。大震災直後で開催が心配された春の高校野球開会式での、創志学園野山主将の選手宣誓も感動的でした。「(前略)人は仲間に支えられることで大きな困難を乗り越えられると信じています。私たちに今できること。それはこの大会を精いっぱい元気を出して戦うことです。がんばろう日本!生かされている命に感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います。」この宣誓の通り、すべての試合が熱戦に継ぐ熱戦で多くの感動と元気をいただきました。
4ヶ月後、女子ワールドカップドイツ大会で逆転の連続で、決勝でも優勝候補筆頭のアメリカをも破った「なでしこジャパン」の快挙も忘れられません。「諦められない訳がある」このチームからは、そんなオーラが感じられました。その訳とは、「大震災で尊い命を失った方、生活の基盤を壊された方々とともに絆を深め、諦めず前に進む勇気を示したい。」「世界中から寄せられた震災への温かな支援に対するお礼を、試合の前後に、一試合でも多く横断幕を掲げて、世界中の友に感謝の気持ちを伝えたい。」と、私には感じられました。
スポーツには、するスポーツ、見るスポーツ、支えるスポーツがあるといわれています。生涯を通して健康な心と体をつくることはもちろん、仲間作りや社会貢献など豊かな人生作りに生かせますし、私はスポーツには夢がある、感動があると思っています。
全面改定された「スポーツ基本法」は「スポーツは、世界共通の人類の文化である」と定義しています。であれば、夢であったオリンピック・パラリンピックが2020年に東京で開催されることを機に、この大会に世界中のより多くの人々が参加し、競い・交流し、より豊に、より多様に、より楽しめる感動的な大会を作り上げてほしいと思います。
そして、オリンピック・パラリンピックを通して、日本の若い世代の方々が未来に向けて、平和で豊かな明るい社会を築いていきたいと強く願い、溌剌と生きていくことを心から応援したいと思っています。その責任は64年の東京オリンピックを経験した私たち世代にあるように思うからです。
★髙橋先生は、かつてミニバスケット(小学生)チームのヘッドコーチとしても活躍されていました。左は94年、神奈川県の地区大会で男女ともに優勝したときのチームの子どもたちとの記念写真(最後列中央が髙橋先生)。中央は97年当時、チームのユニホーム姿の選手たちに、右は同じく97年当時、大会会場の応援席で戯れる子どもたちに、それぞれ囲まれた髙橋先生。このミニバスケットを通して、選手たちは“生涯の友”となり、先生、選手間の親しい交流は現在も続いているといいます。(写真提供:髙橋良祐客員研究員)