日本人ほど、他人や物事に対して親切・丁寧に対応することを喜びとし、真面目に仕事や勉強に取り組むことを善と心得、取り組んだ事はしっかり成果を出し、学んだ事は全て理解し身に付けるのが当たり前だと思っている民族はいないのではなかろうか。コラムの冒頭からいきなりこんな事を書くのには訳がある。昨今の子どもたちの育ちが心配だからだ。
OECDの調査を含め多くの国際調査でも、日本の子どもは世界の子どもたちと比較して、自己肯定感や有用観といった自分自身の価値を自分の心で感じていない現実が指摘されている。また、学習結果と学習意欲に関しては、定型的な知識、スキルを用いた問題解決力の水準は高いが、概念理解を基に多様な知識等を関連させ問題を解決する力や学んだ知識を実生活に結びつけ、活用・応用する力や態度に課題があると指摘されている。更に大きな課題と感じるのは、国別の平均学力は上位でも、無答率が高く、学力が低位の国の子どもより学習意欲が低く、加えて学年が進むにつれて更に学習意欲が低下していくことである。
この大きな課題を解決するためには、日本の子どもたちに自信と勇気と元気を取り戻させ、主体的な生き方、考え方、学び方へと導くことが喫緊の課題ではないかと考えている。それには、まず冒頭述べた「できて当たり前」だと思っている考え方を転換し、子どもに向き合う必要があるのではないかと考える。
もうすぐ夏休み、子どもたちが通知表を持ち帰ってくる際の保護者の態度を例に取り上げる。通知表の大方の見方は、学習や生活に関して出来たことについては「がんばったね」と一言簡単に褒めるのだが、すぐに親の視点の先は出来なかったことに向かい、念入りにできなかったことについて指摘し、がんばりを求める事が多いのではないだろうか。
子どもにとっては、4月に新しい学年になり、ほとんどの学習は初めて学ぶことばかりのはずである。しかし、そんなことも当然なこととして、子どもがきっちり学び取るのは当たり前と受け止めるため、出来たことを十分褒め認め励ますことは少ない。一学期を振り返れば、毎日子どもはそれぞれにがんばってきたのである。できた結果ばかりを求め、さまざまな努力の経過をきっちりと評価し認めない限り、できなければ自分が悪いんだと、自分を責め「自分はだめだ、頭が悪い」と自信を失っていくのは当然のことである。これでは、難しい学習に進めば進むほど、学年が進むほど日本の子どもの学習意欲が低下するのは無理からぬ事だと思う。結果至上主義は、子どもの心に多くのストレスを与え学ぶ楽しさや喜びを失わせ、自信・勇気・元気という主体性や向上心、好奇心の根源を痩せさせてしまうと危惧している。
まず、この夏取り組んでほしいことは一学期で身に付けた、学習内容や日常の習慣や活動を子どもと丁寧に確認し、出来た事をたくさん認めて褒めて、子どもの自己肯定感を高め自信を持たせる事ではないだろうか。その後、たくさん褒められたことで元気一杯になった子どもと定着できなかった学習内容や行動を話し合い、夏の期間でじっくり学習に取り組むことを確認し、更には夏休み中の学習で分かるようになった内容や体験で得た感動や喜びなどを具体的に子どもと話し合い、日々の努力を褒め、認め、励ますことができたら子どもの心はやる気で満たされるのではないだろうか。
このことは、家庭ばかりの話ではなく、学校現場で真剣に取り組む課題である。学習の結果ばかりに重点を置くのではなく、子どもの考えを引き出すことを重視した学習過程を編成し、念入りにそれぞれの考えに検討を加え自分たちの結論に導き、次への学習意欲を高めるなど指導と評価の工夫が強く求められる。
目の前の結果ばかりに目を奪われることなく、将来に向かって夢や希望に満ち、学ぶことに喜びを感じ、意欲と期待感を持って学習に取り組む子どもたちを、社会全体で育てたいものである。