(写真提供:学研・写真資料センター)
桜満開のこの時季は、毎年人々の表情や動きが華やいで見える。
厳しかった寒さから解放される季節でもあり、年度替わりで人生の大きな節目を前向きに進みたいと願っている方達も多いことだろう。また寒さ同様、厳しい試練であっただろう受験から抜けだし、希望に満ちた一歩を踏み出す若者が多いのも、この時季の大きな特質でもある。そして、なんと言っても微笑ましくかわいらしさ満点なのは、ピカピカの小学一年生だろう。毎年の光景ではあるが、保護者と校門前で記念撮影する新入生の姿は見るものに一風の幸せを運んでくれるように感じる。
私も小学校の教員時代、一度だけ一年生の担任をさせていただいたことがある。入学式後、何をするのにもやる気満々の子ども達にたじたじだったことを思い出す。例えば外で鬼ごっこをしても、全員で担任の私を追いかける。当然速いのは私だが私を捕まえるまで子ども達はあきらめない。へとへとになっても追いかけてくる。子どもとぶつかれば子どもが怪我をする可能性もあるため逃げるのもたいそう気を遣った。
学習の場面でも、いつも「やりたい、やりたい」の連続である。国語の時間でも、算数の時間でも、私が苦手だった音楽の時間ですら一生懸命に歌い、リズムをとってくれた。
この子ども達と生活を共にしてから、自分の役目は「子ども達のやる気を減退させないこと、つまりは嫌いな教科をつくらないこと」とした。もちろん子どもが好きな教科や得意な教科を作ることは大切であるが、小学校の教員は基本的には全科を担当する以上、苦手な教科もあるのが通常である。後に教科の専門性に優れた教員に出会い、興味を持って好きな教科が生まれてくれるのを期待して、友だちとの外遊び、そして勉強や生活が楽しくてたまらない子どもの気持ちを大切にしたいと思ったものだ。
しかし、学年が上がり子どもの精神的な成長やものの見方が広がるにつれて、友達の様子や周囲のものの見方や考え方が気になるようになってくるのも必然のようである。テストの点数だったり、運動能力の結果だったり周囲との比較が気になり始め、自分に自信が持てなくなったり、苦手意識が芽生えたりするのも中学年あたりからである。また、いろいろな出来事や事象にも興味関心の違いが現れてくることもこの時期からのようである。
そんなとき、子ども達が自分の好きなことや興味や関心のある事柄に勇気を持って前向きに踏み出せるよう私たち大人はどのように子どもを支えればよいのだろうか。
現在、テニス界で世界ランク最高ランク4位と大活躍し今年はグランドスラム初制覇が期待されている錦織圭選手は小学生時代から非凡な才能を発揮していたという。それでも、その当時だれが世界のトップ4まで上り詰めると予想しただろうか。奨学金を受け単身留学となった錦織少年は、孤独に耐えアメリカで想像もつかないほどの厳しいテニスの訓練を受けながら、幾多のスランプを乗り越え現在あるのだということは想像に難くない。きっと、乗り越えられた要因があるはずだと感じている。
私は、錦織選手のテニスからはいつも勇気を感じる。自分より数段大きい相手が繰り出すすさまじいスピードのサーブを受け止めながら、決して怯むことなく我慢強く打ち返す。そして、チャンスとみれば決然とコーナーめがけてショットを繰り出している。何度も何度も失敗しながらも勇気を持ってボールを打ち返していく。厳しい訓練を前提に緻密な作戦を遂行できる頭と技と精神が備わっていて初めて可能となる錦織オリジナルなテニスのような気がする。
これらを遂行できる心・技・体は自分自身で身につけたことなのだろうか。本人に聞いてみたい。想像ではあるが、彼はきっと「幼いときから、成長の節目節目に多くの方々のサポートと励ましのお陰で前に進む勇気をいただいた」と語るのではないかと思う。それは、試合後のインタビューなどからも、彼の人としての根底にある「感謝」の思いを感じるからである。
人の成長は決して一様ではなく山あり谷ありの連続であり、だれひとりとして同じ成長過程をたどることもない。一人ひとりの子ども達にはそれぞれのオンリーワンの人生が開けているのだと思う。自分の好きなこと、興味関心のある道を希望と勇気を持って堂々と突き進んでほしいと心から願うとともに、子どもの成長を支える大人の役割について大人一人ひとりが真剣に考える必要を感じている。