TOP > 小学生白書Web版 > 2011年6月調査 > 分析編

小学生白書Web版

小学生白書Web版 2011年6月調査>分析編>

第2章 学年別にみた東日本大震災時の下校の実態

角替弘規(桐蔭横浜大学准教授)

5.下校における課題2 引き渡しにおける課題
(1)引き渡しの実態と課題

図2-4において示した通り、引き渡しは震災時の下校方法の中で最も多く用いられた下校方法である。
学年別では高学年の児童よりも低学年の児童の方が引き渡しによる下校となった割合が多くなっている(図2-5)。

震災当日、誰が子どもの迎えに行ったのかをまとめたものが図2-8である。

図2-8.東日本大震災(3月11日)のとき、学校にお子さんをお迎えに行ったのは誰ですか。(複数回答)(%、N=414)

帯グラフ

これによれば保護者自身(今回の調査に回答した保護者の配偶者を含む)が迎えに行ったケースがおよそ9割であった。保護者以外の場合、子どもの祖父母やきょうだいが迎えに行ったとするケースが全体の8%、子どもの友達の保護者や近所の人が迎えに行っているケースが3.4%となっている。

では、引き渡しにおいてどのような課題が見受けられるのだろうか。保護者にとっての「引き渡し」の課題は、まず学校に誰が迎えに行くのかということと思われるが、もう一つ、特に共働き家庭にとっては誰が迎えに「行けるのか」ということも課題となる。共働き家庭であっても、祖父母などの別の大人と同居していれば、保護者に代わっての対応が可能となるが、いわゆる「核家族」のように親子2世代の家族にあっては誰が迎えに「行けるのか」ということは切実な問題でもある。今回の震災のように平日の日中に地震が生じた際には保護者が仕事のためにすぐに学校に迎えに行くことが難しいケースが生じることは容易に想像できる。今回の震災ではこの点はどうだったのだろうか。図2-9を見てみよう。

図2-9.東日本大震災の「引き渡し」で、次のようなことがありましたか。(複数回答)(%、N=403)

帯グラフ

例えば「保護者が迎えに行けない子供への対応が不十分だったこと」があったかどうかについては、約4割の保護者が「なかった」と回答している。すぐに保護者が迎えに行けなかった場合でもその子どもには十分な対応がとられていたということである。その一方で「不十分だった」と回答している保護者が約25%存在していることも見逃してはならないだろう。

「対応が不十分だった」と認識している保護者に対して、不満を感じたかどうかについて尋ねた結果を保護者の属性別にまとめたものが表2-11である。

98名の保護者中不満に思っているのは75%に達している。子どもの学年別にみてみると、高学年の子どもの保護者ほど不満を感じている割合が高いことが明らかとなった。また、震災時に家に大人が在宅していない保護者の方が不満と感じていることも分かった。母数自体が少ないためにあくまでも今回のみ観察された傾向に過ぎない可能性も否定できないものの、子どもが高学年であるほど両親ともに仕事などの理由から外出する機会が多く、保護者が迎えに行けない際の対応に不満がみられたのかもしれない。

表2-11 引き渡しの際に、保護者が迎えに行けない子どもへの対応が不十分だったことに対して不満を感じている保護者の割合。(全体・学年別・大人の在宅別・保護者の性別、%)

  N 不満に思う
全体 98 75.5
低学年 32 71.9
中学年 34 73.5
高学年 32 81.3
男性保護者 33 81.8
女性保護者 65 72.3
震災時大人在宅 53 67.9
震災時大人不在 45 84.5

※「不満に思う」は「とても不満に思う」と「まあ不満に思う」の合計

表2-12 引き渡しの際に、学校に着いたのに引き渡しまでに時間がかかったことに対して不満を感じている保護者の割合。(全体・学年別・大人の在宅別・保護者の性別、%)

  N 不満に思う
全体 61 52.5
低学年 25 56.0
中学年 21 52.3
高学年 15 46.6
男性保護者 22 59.1
女性保護者 39 48.7
震災時大人在宅 44 52.2
震災時大人不在 17 52.9

※「不満に思う」は「とても不満に思う」と「まあ不満に思う」の合計

「引き渡しまでに時間がかかった」ことがあったと回答しているのは全体の約15%の保護者であり、6割以上の保護者はそうしたことは「なかった」と回答していた(図2-9参照)。
比較的スムーズに引き渡しが行われたということであろう。「引き渡しまで時間がかかった」と認識している保護者であっても、そのことに不満と感じているのはさらにその半数の保護者であった(表2-12)。

学年別では、低学年の児童の保護者の方が時間がかかったことについての不満を感じている。おそらくは震災のあった3月がまだ寒い季節であったことが関連しているのではないかと推察される。