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遠藤宏美(宮崎大学特任助教)
2011(平成23)年3月11日金曜日午後2時46分頃、太平洋三陸沖を震源とする大地震(以下、「東日本大震災」あるいは「大震災」と称する)が発生した。地震の規模を示すマグニチュードは9.0と大きく、宮城県栗原市の震度7を最大に広い範囲で強い揺れを観測した。
首都圏においても震度5程度の揺れが長く続き、その後も本震並みの大きな余震が頻繁に訪れた。東北地方に比べれば被害は小さいものの、首都圏でも地盤の液状化現象や建物の倒壊などが起こり、負傷者も発生した。また首都圏を走る多くの鉄道が不通になり、道路の渋滞も激しく、帰宅困難者が続出した。国土交通省によれば、大震災発生時に首都圏にいた東京都、埼玉県、千葉県、神奈川県の居住者のうち、帰宅できた人は8割にとどまり、都内では帰宅困難者のための一時受け入れ施設を利用して夜を明かした人が9万人以上にものぼったという注1)。大震災発生後しばらくの間は電話がつながりにくく、家族や友人らの安否の確認がとれずに一層の不安や混乱を招いた。
冒頭に記したように、東日本大震災は平日の午後に発生した。小学校の多くは春休みに入る前、通常の授業を終えるかどうかという時間帯であった。では、あのとき、子どもたちはどこにいたのであろうか。本調査に先立って、「東日本大震災が発生したとき、子どもがどこにいたか」を尋ねているので、その結果から示しておこう。図1-0は、子どもを持つ保護者8,515名による回答の結果注2)である。これに示されるように、約7割の子どもは「学校」にいたことがわかる。さらに、約1割(10.7%)が「下校中」であったことを考慮すると、約8割の子どもが「学校」にいたか、あるいは「下校中」で自宅に到着する前であったといえる注3)。
図1-0 東日本大震災発生時に、子どもがいた場所(N=8515、単位:%)
本章では、単純集計結果と自由記述回答の結果をもとに、大震災発生当日の学校や家庭での対応と、大震災がもたらした生き方・考え方の変化を概観し、次章以降の詳細な分析への橋渡しをすることを目的とする。