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シリーズ「教育大変動」を語る
第4回
「全国的な学力調査」の真のねらい
そもそもは「ゆとり教育」への危機感から
- 古川:
- 全国的な学力調査が施策として具体的に示されたのは、一昨年、中山前文科大臣が表した「甦れ、日本!」が初めだったと思いますが…。
- 梶田:
- 最後のきっかけはそうですが、こういう機運は2000年の教育改革国民会議に始まり、2001年文部科学省発足後、新しい中教審が国の教育政策の方向付けを転換して以降、ずっと積み重ねられてきたものです。
1990年代の初めに、文部省は高校の入試判定の模擬試験も含めてあらゆる学力調査を禁止しました。カッコ付きの「ゆとり教育」、テストをして学力を問題にするということは邪道であって、子どもたちが目を輝かせれば良い、生き生きすれば良いという議論が、国をはじめ、教育学者の間にも広がった時期があります。
「ゆとり教育」が行われた90年代に、学力の大幅な低下と不登校など子どものいろいろな問題行動が非常な勢いで増えました。しかし、結局は責任のあるきちっとした教育、つまり、育ちや結果を問題にしなければいけないということになり、その結論の一つが全国的な学力調査ということなのです。
求められる教育の結果の検証
- 古川:
- 90年代の終わり頃からメディアで盛んに取り上げられた、学力低下批判に対する反省・検証といった伏線があったということですね。
- 梶田:
- 直接的にはそうですね。学力低下について大学では理工系を中心として、90年代半ばに危機感がすごく高まっていたわけです。その表れが「科学技術振興基本計画」で、最初の5か年計画だけでも数兆円のお金がつぎ込まれました。
これを推進したのが、当時の東大工学部長の有馬朗人さんとか東工大学長・木村孟さんといった人たちでした。例えば東大でも京大、阪大でも、90年代半ば以降から理学部、工学部、医学部に進学する3年時に補習をやっています。私は当時京都大学にいて、全学共通教育の委員もしていましたが、そのときの仕事の大事な部分というのは、補習プログラムづくりでした。
ところがその一方で、小学校などの教育に引きずられて、子どもは好きなことを好きなときに好きなようにやるのが一番良いことだという、指導を放棄したような話が横行していた。90年代後半というのは、そういう非常にアンバランスなちぐはぐな状況だったわけですね。
- 古川:
- 公教育に結果の検証という考え方はほとんどなかったわけですね。
- 梶田:
- 日本ではね。アメリカは、1983年に「危機に立つ国家」という報告が出て、それまでの教育を180度転換した。それで80年代半ば以降には、アウトカム・ベイスド・スクール(結果を出す教育)、あるいはコンフィデンス・ベイスド・エデュケーション(力をつけることを眼目にした教育)ということが言われるようになった。同じような意味で、2000年前後からはエビデンス・ベイスド・エデュケーションという言葉も使われています。
日本の評価は本来のそれではなく、心情論と印象論による単なる点数づけで、いわば一種の格付けです。格付けと評価は全く違います。評価というのは、子どもの中にどういう結果が出現しているかを確かめることです。
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