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シリーズ「教育大変動」を語る
第5回
「なぜ、教育においても規制緩和なのか?」
一般社会人の教員登用による教育の質向上
- 古川:
- 教員の資質向上は、文科省の改革の中でももっとも重要なものの一つです。現役教員にも教員免許の更新制が導入されようとしていますし、全国的な学力調査も行政の施策もともに、授業の検証と工夫が目的です。
- 戸田:
- それらが、どの程度効果が出るのか疑問です。僕はむしろ、免許制自体が問題だと思っています。文科省も、校長や教頭に民間人を登用しようとしているではないですか。しかし、導入してもすぐにやめてしまう自治体もあります。今、教職の単位は学部によっては非常に取りにくいんです。
教員免許がなくても社会人を経験して、自分が教壇に立って児童生徒たちに教えてみたいという社会貢献的な使命に目覚めるという人がずいぶんいます。免許がなくても、能力がありフレッシュで意欲と情熱に燃える方に、教員になっていただくべきです。そうすると長い閉鎖的な教員生活で変な癖がついている人もシャンとするし、お互いに鍛え合うという良い刺激になるはずです。
規制改革会議では昨年、教員免許状を有しない者にも採用合格後、臨時免許とか特別免許の制度を大いに活用することを文科省に働きかけました。また、学力調査もサンプルではなく悉皆調査をするべきです。教育成果のひとつの目安になりますから…。
- 古川:
- 授業の専門性という観点から見て、教員経験のない者が子どもを教えることに問題はないのでしょうか?
- 戸田:
- 専門性と言っても、採用試験はあるわけだし、僕はそんなに心配はないと思います。重要なのは、児童・生徒とどういうふうにコミュニケーションを取るかという能力です。簡単に言えばホスピタリティ(大切に思う気持ち)です。どんな児童生徒に対しても分け隔てなく温かく接することができるメンタリティ、これが教員にとって本当はいちばん大事です。ところが現実には、ダメな教師には、それがいちばん不足しています。
長年、教員をやっていると、どうしても好き嫌いが生じてきます、児童生徒に対しても保護者に対しても…。そうした教員の一種のアローガンスというか、傲慢さは評価する者がいないことに理由があるのです。僕は長年教員を見ていて、もちろん自分の反省も含めてですが、やはり誰にも評価されないということは、根本的に間違いだと思います。僕の出発点は全てそこから始まります。
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